みなさんこんにちは、Team WADA学生インターンの茅原武尊です!
今回は、アメリカの移植外科医について、ロチェスター大学移植外科医の冨山浩司先生にお話を伺いました!
冨山浩司先生
ロチェスター大学 Associate Professor・Surgical Director, Liver Transplantation
2000年 岡山大学医学部卒業
2000年 岡山大学レジデント
2003年 岡山大学大学院Postgraduate
2005年 ピッツバーグ大学 Research fellow
2008年 ダラス, ベイラー大学 ASTS Transplant fellow
2010 年 京都大学 肝胆膵移植外科
2014年 トロント大学 HPB surgical oncology fellow
2016年 ロチェスター大学
アメリカで移植外科医になった理由
茅原 :現在移植外科としてご活躍されていますが、なぜその移植外科という道を選ばれたのでしょうか?
冨山先生
私は岡山大学医学部の5年生ぐらいに、岡山大学で伊達洋至先生という、今は京都大学の呼吸器外科の教授をされている先生が日本で最初の生体肺移植をされたんですよね。それが初めて移植っていうものを医療の一分野として認識した時で、傷んだ臓器をとって新しいのに取り替えるのが非常に根本的にいろいろなことを解決できる分野じゃないのかなというのを学生ながらに思って、それが移植というものに最初に興味を持った経緯です。
それでそういうのをされた、伊達先生ってすごいなと。伊達先生の経歴を拝見すると、アメリカで研究をして、臨床のトレーニングもされて、日本に帰ってこられて、日本で初めての移植をやって、「これはすごいな」「かっこいいな」と思って。自分もアメリカに行って、いっぱいトレーニングを受けたら、なんかすごいことができるんじゃないかなっていうのを学生として漠然と思い始めたわけですね。
その後、実際に伊達先生からお話を伺う機会があって、自分がアメリカでの臨床や移植にすごく興味があるという話をさせていただくと、伊達先生から「じゃあ君も頑張ってUSMLEを取ってアメリカに行きなさい」と励まされました。背中を押されたので、USMLEの勉強を始めて日本で取れるものを全部学生の間に取りました。
その頃たまたま、Dr. Thomas Starzlという移植外科のパイオニアの方で、臓器移植の基礎を作ったような方の伝記を読む機会がありました。世界で最初の肝移植を行った話や、その後確立されるまでの挑戦や苦労などを読んで、その先生みたいになりたいという漠然として憧れを持ちました。
またよく調べていくと当然肺移植とか他の臓器移植もそうですけど、肝移植が吻合の種類や数も多くて、すごく挑戦しがいのある手術らしいというのが分かりました。やっぱり外科医になりたいのであれば、何かすごく難しい手術をやりたいという単純な理由から肝移植の外科医をやってみたいと思うようになりました。
臨床へ繋がったピッツバーグでのリサーチフェロー
茅原:ピッツバーグでリサーチフェローをされていたと思います。リサーチフェロー時代はいかがでしたか?
冨山先生
このときに実は太田先生(Team WADA副代表)と知り合いました。
僕は基礎の研究室にいました。当時ピッツバーグ大学は移植のメッカって呼ばれていて、臨床のボリュームに加え、移植の基礎研究も非常に盛んで移植専属のリサーチの部門があったんですね。
丸々1フロアを移植のリサーチのラボだけが占めているフロアがあって、そこの研究室の一つにいました。僕のボスは実は日本人の女性の方で、もう1980年代からずっとピッツバーグで研究されている、その分野では非常に有名な村瀬先生にお世話になりました。
何で研究をやり始めたのかっていうと、結局アメリカに行って臨床したいけども、何もコネクションもないし何もアピールすることがなかったので、アメリカで研究をしてコネクションを作って英語も喋れるようになりたい、という目論見がありました。
幸いにも日本の大学院でやっていたラットでの肝移植を用いた虚血再還流障害に関する研究をする機会を与えてもらえました。
とにかく目標としては臨床に行きたいので、実績として論文を出さないといけない。やっぱりボスから評価してもらって、後々良い推薦状をもらわないといけないので、正直死に物狂いでやってましたけど…特に村瀬先生がね、当時すごくきびしかったんですよね(笑)
もう非常に研究には厳しい方で、毎週金曜日に結果を報告するミーティングの前はお腹がキューって痛くなる感じでした。幸い非常に評価していただいて、最後に紹介状をいただいたときには、今までこんなの聞いたことないよっていうぐらい褒めていただいて(笑)。でもこの時叩き込んでいただいた物事の論理だった考え方、解釈の仕方をデータの解析がその後の臨床での物事の考え方にもつながり、本当に感謝しています。
紹介状を書いていただいて、それがその次の臨床のフェローシップに繋がりました。これも一つ村瀬先生がこちらの移植の分野では、かなり名前の知れた方だったので、その方からLetterをもらえたことは僕にとってその後に繋がった一つ大きな要素じゃないかなと思います。
ダラスのベイラー大学で移植外科のフェロー
ダラスのベイラー大学に行った経緯をお話すると、リサーチが終わりかけたときに、伊達先生がもう岡山大学の教授になられて「リサーチもしたことやし臨床にも行くんやろから、ちょっと臨床の経験をいいところで積ませてあげるから1回帰っておいでよ」という話になって岡山大学に帰ることになってたんですよ。
で、あの実際に帰ったんですけども…帰る1ヶ月ぐらい前に伊達先生から連絡があって、「いや実は…京大に教授で行くことになった」って(笑)
「帰っても伊達先生おらんのや」と思いながら帰ったので、すぐもう1回アメリカに臨床で行く機会があったら行ってみようかなと思っているところに、ベイラー大学で正規のフェローの枠に空きが出たという情報が入ってきました。以前から留学についていろいろアドバイスを頂いていた大学の先輩で以前ベイラーでフェローをされていた植村先生から「ダラスのフェローは非常に多くの症例も経験できるし、手術もさせてもらえるし良いですよ」と聞いていたので、これはチャンスだと。
というわけですぐにアプライしてみて、ちょうどアメリカの移植外科のASTS(American Society of Transplant Surgeons)fellowshipのMatchingの時期だったので他のプログラムにも応募して、面接によばれていたんですが、幸いベイラーから採用の知らせが最初に届いたので、他の面接を断ってベイラーに行くことになったんですね。
ところで最初にお話ししたように僕はDr. Starzlに憧れがあったんですけど、ピッツバーグで実は、本人にお会いすることができたんですよ!
その時はもう80歳になられていたんですが、本で読んだ人と実際に目の前で会って、握手させてもらったときに、この手で手術されてたんだなと思うと、本当にね、すごく感動して自然と涙が出てきました。
でも、当然もう手術はされてないのでこの人にトレーニングしてもらうことはできないなと思ったのですが、幸いベイラー大学のチーフのDr.Klintmalmが、Dr. Starzlの最初のフェローだったんです。この方がおそらく一番色濃くDr. Starzlのやり方を踏襲されているだろうなと思いました。Dr. Starzlの一番弟子からトレーニングを受けられるのは願ってもない機会だと思い、それで喜び勇んで行ったわけなんですね。
茅原 :それはすごい経緯ですね!ベイラー大学でのフェロー期間はいかがでしたか?
冨山先生
すごく大変でした。始めた当初はもう嬉しくてしょうがなかったですよ。だけど行ったら当時、ベイラー大学はアメリカで3番目ぐらいに肝移植をやっていて、年間180か190くらいありました。腎移植は、全米ナンバーワンで380くらい。
それを学年につき2人、2年のフェローシップなので4人フェローがいるはずなんですけど、症例のボリュームは多いんだけども大変なことで有名で、毎年2人取るんですがしんどくて1人辞めてくことが多いんですよ(笑)
案の定、僕らの上の学年も1人辞めたんで、3人でそれだけの手術を回して、次の年、下の子が入っていてちょっと楽になると思ったら案の定また1人辞めて、結局また3人で(笑)
もう基本的に僕は手術した記憶しかないですね。一番大変なときには肝移植・肝移植・腎移植・腎移植と連続してやって、1日で終わらなかったです。その手術の間に手術室のストレッチャーの上で寝転がって仮眠とって、次の患者の麻酔がかかるとナースが起こしてくれて、顔洗って、手術に入って…と本当に忙しいときはそんな感じの生活でした。
そのときは生き残るのに精いっぱいで、もうほぼ何も覚えていないですが、今考えるとそのときの経験がやっぱりすごく自信に繋がって、卒業するときにはスタンダードな肝移植は自信を持ってできるようになりました。
2つ目のフェロー:トロントでSurgical Oncology Fellow
ダラスのベイラー大学で移植外科のフェローの後に、一度日本の京都大学に帰ったのち、もう一つトロント大学でHPB Surgical Oncology のフェローをしました。
多分このフェローをやってる人、日本人でそんなにいないと思うんですね。やっぱり、日本って肝胆膵外科はすごく盛んなので、あんまり海外にわざわざフェローしに行く人がいないのかなっていうのもあるんですけども。
僕も手術は、京都大学時代に肝胆膵の手術はさせてもらっていたので、ある程度の自信はありましたが、こっちのSurgical Oncologyは一つの大きな分野として、理論、考え方やトレーニングというのが非常に確立されている印象があったので、そういうのをさらに勉強してみたいなと思って行ったんですけども…
僕がもう移植のFellowを終えていて、日本で移植のスタッフもしてたことをトロント大学の方も分かっているんで、ちょこちょこ移植の方にも駆り出され、生体の肝移植があるとよく手伝いに入ったりとかしました(笑)
このHPB fellowshipは、ほぼ予定手術だけなので、ベイラー大学よりもうちょっと落ち着いた感じでした。ただ、トロント大学は基本的にカナダで一番症例の多い大学なので、大きな肝胆膵の手術が年間400例ぐらいあったんですね。それを移植も含めて6人のフェローで回すので、もうとにかく毎日手術手術でした。
茅原 :なぜOncologyの方に進もうと思われたのですか?
冨山先生
僕はアメリカで最初に移植のトレーニングを受けて、ベイラー大学の後に京都大学で4年間ほどお世話になったんです。その時に肝胆膵の手術をやるようになったんですね。
それが僕にとって良かったのは肝臓切除とか膵頭十二指腸切除などをやる機会ができて、当然それまでにベイラー大学でもそれなりの経験はあったんですが、もっと複雑な肝胆膵の手術が面白くなってきたというのがありました。
アメリカではSurgical Oncologyというのは一大分野で、手術の技術だけではなく、腫瘍に対するアプローチの仕方とか腫瘍のbiologyを理解するというのがすごく大きなテーマで、こっちの北米流の考え方もしっかり学んでみたいっていうのが、その後トロント大学でHPB Surgical Oncologyのフェローをした理由の一つです。
しかし実は一番興味があったのが、Ex-Vivo Resectionという切除の難しい腫瘍やすごく進行したがんを切除するために、肝臓を体外に取り出して、テーブルの上で切除、再建を行ってもう一回体内に戻すという移植の臓器保存の技術を応用した手術でした。トロント大学で行われたこの手術のビデオを見て興味を持ったのですが、そのトロントでフェローシップのチャンスがあるというのを見て、これはやってみたいなと思いました。
他にも北米には20弱のHPB fellowshipはあるんですが、トロント大学一本に絞ってMatchingに応募して、幸いMatchすることができました。実際にトロントでかなり症例を経験させていただいて、今実際に現在の施設でもちょこちょこやっています。
茅原 :そうなんですね!何かこういうのやってみたいと思ってすぐに海外に飛び込める勇気・行動力がすごいなと思います。
冨山先生 :あまりよく考えてないんですね(笑) しっぺ返しをくらうこともありますけどね。挑戦して、あかんかったらあかんかなと。
外科レジデントへの渡米は日本で専門医を取ってからか?
茅原:私個人的に、現時点でレジデントとしての渡米を目指しています。しかし、自分の場合は日本生まれ育ちなので、文化や言語などの部分で最初苦労することが予想されるため、専門医を取るまである程度日本でトレーニングしてから行く、つまり外科医としての基礎があった方がいいのではと悩みどころです。
今までの日本で働いた外科医としてのご経験が肝移植に活きたと感じることはありましたか?
冨山先生
それは非常にいい質問であり、難しい質問です。
僕個人としてはこれまでのキャリアの中でアメリカから日本に2回ぐらい帰って、日本とアメリカを行ったり来たりしているのですが、今振り返るとそうやって行き来することで自分の外科医としてのスキルは非常に伸びたと思います。
というのも、アメリカと日本のトレーニングそれぞれに良いところがあって行ったり来たりすることで、両方のいいとこ取りができたかなと思うんですね。
これは自分の場合は計画してできたわけではなくて、たまたまそうなったわけなんで、例えばこれから先のことを考える学生の方とか若い先生たちにどう計画したらいいかというのを単純にお答えするのは難しいのですが、一つ言えるとすれば最終的に行き着きたいと思うところをまず決めたらいいかなと思うんですね。
どういうことかというと最終的にトレーニングの後もアメリカで残ってずっとやるのか、それともアメリカでたくさん症例経験してトレーニングを受けてそれを日本に持って帰ってキャリアを築かれるのか。それによってアプローチが違ってくると思います。
もしアメリカに残るっていう場合であれば、現状では、General Surgeryのレジデンシーを終えてBoardを取って、それからフェローシップをやるのがやはり王道であって、その方が後々仕事を見つける意味でも有利に働く可能性はあると思います。
Boardの有無っていうのはやっぱり一つ大きな差で、僕はこっちでレジデンシーをしていないのでBoardを持ってないんですけども、そういう状態ではっきり言ってどうやって仕事を得るかっていうと、ちょっと偉そうな言い方になりますけど、どこかで何らかの実力やスキルを示して評価を得るしかないんですね。
例えば、同じスキルのアメリカ人でBoardを持ってる人と比べられたら当然勝てるわけがないんで、ユニークなスキルをつけないといけないわけです。今そのユニークなスキルとして、僕は非常にややこしい肝臓の症例とか、生体肝移植とかを主に担当させてもらっているのですけど、それが割と貴重なスキルと現在の施設では認識されて、今の立場にあるわけなんですね。
振り返ってみるとそういう技術は京都大学にいた頃に習得させてもらったものが大きく役に立っていて、その意味で日本の経験がなかったとしたら、今の自分はなかったかもしれません。やっぱりBoardがない場合はそうやって何かアピールできるものが必要なんじゃないかという印象を持ってます。
茅原:なるほどですね、勉強になります!
レジデンシーのお話をすると、私は渡米をするときに大きく分けて言えば段階が二つあると思っていて、まずレジデンシーに入る難しさと、IMGはどうしても最初はPreliminaryから入ることが多いと思うので、入った後にそこから生き残る難しさという2種類の難しさがあると考えております。
日本で外科系のBoardを持った後に渡米するというのはどちらにもプラスになるものなのでしょうか?
冨山先生
それはなると思います。基本的に今、日本でBoardを取ろうとすると5年かかると思います。 そこで5年やって取ったBoardは少なくとも評価には値されると思います。
少なくとも外科のレジデンシーをそれだけやっているってことは、ある程度基本的なことはできるだろうし、患者さんのマネジメントもできるだろうと。Boardを取っているという最低限のクオリティを保証するっていう意味では、日本のBoardを持っていることはポジティブに捉えてもらえると思います。
ただそれをやる人は「5年間」費やさないといけないんですね。5年間費やした分だけBenefitがあるかっていうと…。ちょっとはっきりした答えを僕は持ってないですが、こちらでレジデントの選考に関わった経験に基づいていうと、アメリカ側の視点からするとどうしても内容のよくわからない外国での資格というふうに捉えられるわけで、ひょっとすると日本で得られるその5年分の実績というのは、それほどまでの評価はアメリカでは得られないかもしれないですね。
そういう意味でその後日本に帰ってキャリアを積むのであれば当然日本での専門医は必要になるので、そこら辺を考慮に入れる必要があると思いますね。
茅原 :将来アメリカに残るのなら、そこまで日本のBoardにこだわっても…っていうことですね。
冨山先生
かもしれないですね。例えば「日本のBoardを持ってるからどっかのレジデンシーに絶対入れる」という保証があれば、その5年費やす価値はあると思いますが、そこまでの強みはおそらくないんじゃないかと思います。
フェローで行くか、レジデントで行くか
冨山先生
実際、Boardがないことで今何か制限されてるかというと全くそれはないですけど、ただこれは州や施設によって結構違って、州によってはBoardがないと何か制限があるとか、例えばプロモーションするとかにもちょっと不利になったりとかなどは聞いたことがあります。今僕がいる環境では特に何も不利益はないんですけどね。
結局こっちで残ろうと思うとレジデンシーをして、Boardを取っておくのは一つ大事なことですし、またレジデンシーを経験している事でこっちの外科医がどういうトレーニングを受けて、どういう背景でPracticeをしてるのかっていうのがより理解できると思うんですね。
僕はこちらのレジデンシーをすっとばして、変な話上からレジデントを見る立場でしか観てないんです。なのでこっちのレジデンシーがどういうもので、どういう経験を積んでみんな外科医になってるかっていうのを、上の立場から見て、表面上理解してるような感じです。やっぱり細かいところでちょっと理解が薄いところがあって、そういった背景の理解がやっぱり違うのでもしこっちでずっといるんだったら、こっちでトレーニング受けた方がそういう面でもプラスになるかもしれないですね。
もし最終的に日本に帰る予定であれば、レジデンシーをしなくてもいいと思うんですね。
フェローだけやっていっぱい症例を経験して日本に帰るのも一つの手だと思いますが、ただその場合には、良いフェローシップに入らないといけないです。良いフェローシップに入りやすいという意味ではやっぱりこっちでレジデンシーをすることはプラスになると思います。
採用する方としては、日本でレジデンシーをして応募してきた方については、日本を知ってる僕からはどういうトレーニングを大体受けたか分かります。しかしアメリカ国外、例えば、東南アジアでレジデンシーをされた方っていうのは、実際どういうトレーニングをどれぐらいのintensityでやったかはちょっと想像つきにくいんですね。アメリカの外科医が日本のレジデントを採用する際は同じような印象になると思います。
そうすると、どういうレベルの人なのかっていうのが、ちょっと不安になるところはあるんですね。それに比べてアメリカのレジデンシーであれば、みんな基本的に自分たちが通ってきたので、どれぐらいのことをできて、どういうレベルの人かはわかりやすいという意味ではちょっと採用するのにオープンになる傾向はあると思います。
そこが一つネックにはなると思うので、もし日本から直接フェローシップに行く場合は、やはりコネクションがあるといいかな。というのもやっぱり、推薦状は結構こっちでは重要で、例えば日本の外科医の先生にすごく良いのを書いて頂いたものと、こっちのアメリカの外科医に推薦状書いてもらったものとは、やっぱり意味合いが少し違います。だから、何かリサーチをするなり、見学に長期行くなりして、こっちのアメリカの外科医とコネクションをつけて推薦状を書いてもらったら、一つそれはプラスになります。
ちょっと話があちこち飛んでいますが、基本的に将来的にこっちに残るのか残らないのかで、プランの立て方をいろいろ考えないといけないかもしれないですね。
》》》後編へ続く
後編では、アメリカの教育体制・医学生やレジデントの評価方法・PDとしてapplicantの選考方法・今後のキャリアについてお話しいただきました。
【インタビュアー】
国際医療福祉大学医学部4年 茅原武尊
【編集者】
国際医療福祉大学医学部4年 茅原武尊
ロチェスター大学 premed 涌井敦和
国際医療福祉大学医学部4年 ジョーンズ空
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