お邪魔いたします。チームWADA公式Twitter中の人でございます。

 

旭川での学会が無事に終わったようで、燃え尽き症候群のように(何もしておりませんが)のほほーんと過ごしておりましたところ、副代表よりお便りをいただきました。

今までのブログ同様、スマホ画面を何スクロールもしないといけない熱量の高い長文でございましたので、以下ワタシなりの解釈で内容を脳内翻訳後、抜粋いたしました。

 

副代表「元気にしておるん?突然で申し訳ないけど、おっさんずラジオ17できたんで、聞いてブログ書いてくれへん?こないだロサンゼルスであった学会に行った時のことを話してるんやけど、話したというかオーノ先生が時間がないとかでホンマに話さなあかん内容は全然話せんまま30分くらいで切り上げるハメになったんすよね。消化不良気味やけど、タイミング的に今公開した方がいいと思っとる。せやけど、ワシがブログを書き始めると公開するのが来年ぐらいになってまって、だーれも学会のこと覚えておらんくなりそうやし、今回は他力本願でいこう!と名案がペカーっと閃いてんねん。オリジナル音源添付してるんでよろしゅー頼んます!」

 

中の人「工工工エエエエエエェェェェェェ(゚Д゚)ェェェェェェエエエエエエ工・・・そんな大役を・・・でも、ワタシでよければ・・・」

 

・・・という流れでございます。

(*注:実際は標準語で大変ご丁寧な文章でございましたが、ワタシの脳内では上記のように妄想変換されました。ご了承いただけますと幸いです。)

 

ワタシは長文が得意でないのと、おっさんずラジオの場合は『百見は一聞に如かず』ということで、是非お聴き下さい!

 

 

お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。

 

中の人サマ、ありがとうございました。

 

何かタスクをこなす時に、そのスピードとクオリティには少なからず二律背反的な側面があるのだと思います。スピードを重視するあまり完成度が低くなったり、あまりにも完成度にこだわりすぎて永遠に終わらないサグラダファミリア症候群になったり。締め切り期限のあるタスクの場合、タスクの完成度に関わりなく締め切り時間が来た時点で作業は終わらざるを得ないのですが、逆に締め切りのないタスクの場合、どのあたりの完成度で「終わり」とするかは個人の性格が如実にでるものだと思います。スピードを追い求めた時にクオリティに影響が出るという思考回路は、一つの物事を2元的に解析し双方に相関があるという知見が賢い人たちによって認知されて以来、今やそれが我々の中に遺伝子レベルで刻み込まれてしまっているのだと思います。しかし、もっと単純に考えるとスピードとクオリティは結局どちらも追求すべきものであり、互いに独立した事象だと考えると話がもう少し分かりやすくなります。スピードはより速く、クオリティはより高く、です。単純に両方ともとことんまでやればいいだけのことです。

 

最近よく見る言葉として「完璧主義よりも完了主義」というものがあります。生産性を上げるためにとりあえずタスクを終わらせて完了することによって物事を前に進めていく方針を説いたものです。この理論自体は理にかなった素晴らしいものだと思います。ですが、私はご存知の通り(?)紛うことなき完璧主義系なので、いつもタスクを行う時にはその完成度にこだわりすぎて苦しい思いをしています。大抵の場合、私が理想とするものは自身の能力を遥かに凌駕した能力者でないとできないものを「完成品」と想定してしまうがゆえ、自身の限界まで努力したとて、それ以上の完成度を望めない「未完成品」を最終的に提出する羽目になるからです。私は「完了」することが大好きです。しかしそれでも私が完了主義に移ることはないと思います。私にとって「完了」とは、物事が仕上がりそれ以上それに関わる必要がない「綺麗さっぱりおさらば」な状態のものを言います。例えば私の旅の楽しみの一つは、ホテルの備品の歯ブラシで歯を磨いて、それをすすぐことすらせずにゴミ箱に捨てて「完了」させることです。真新しい歯ブラシで歯を磨いて、それを洗うことすらせずゴミ箱に葬り去る「完了」の背徳感が大好きなのです。未完成品を提出してそれを「完了」と位置付けてしまうと、私の場合、それ以降その件について考えることはないのです。私が完了主義に入信してしまえば、未完成なものを量産しそれら全て忘れ去る無責任おじさんになってしまうのです。しかし実際は、完璧主義である私は未完成品を提出したことへの自身への不満・後悔の念をいつまでも覚えており、そしてその反省を続けていくことになります。反省はやがて改善へと繋がり、次に同様の機会があった時に、前回の作品より優れた「理想の完成品により近い未完成品」を生み出すことができるのです。つまり私が完了主義になるとベルトコンベア式にただ不良品を量産するだけになるのに対し、完璧主義に固執すると常に進歩につながると思うのです。

 

心臓外科における手術トレーニングの話題の中でも頻繁に議論されるのが、手術のスピードとクオリティの2要素とその相互関連性についてです。どんなに速い手術でもクオリティが悪くては全く意味がない、クオリティを重視するあまりスピードを捨てるのは愚行だ等、スピードとクオリティには切っても切れない関係性があるのは事実でしょう。しかし、完璧主義論においてはスピードが速く、かつクオリティの高い手術というものが「完璧」に到達する必要最低限の要素だと思うのです。そこで私がいつも心がけているのは前述の単純化です。スピードとクオリティは別々の事象として捉え、スピードはより速く、クオリティはより高く追求するのです。単純化すればどちらの項目も当たり前に追求すべきことであり、誰も異議を唱える人はいないでしょう。単純化することによって目標設定も簡単になります。ただ目標設定自体が楽になるだけで、それを到達するのは困難です。そもそも手術技術を学ぶにあたり、それは「達成」して「完了」することなどがあり得ないものだと思います。「追求」「進歩」等の言葉に表されるように、個人の手術技術は常に継続的に進化・向上すべきものである一方、患者さんにとっての手術は一度きりであり、執刀医の「今後の成長・上達」とは一切関係なく一回勝負で「完了」しなくてはならないのも手術及び手術トレーニングの特殊性を示す要因だと思います。一度きりで「完了」してしまう特殊状況下での手術手技を別々の外科医同士で競ったり優劣をつけることが不可能なのもそれに起因しています。私自身は全ての事柄に対して完璧主義ということではありません。自分でもよくわからないのですが、私が人生の中で出会っていくたくさんの事象はおそらくランダムに「完璧主義カテゴリー」と「大雑把でいい加減カテゴリー」に振り分けられるのです。例えばマラソンに関してはいい加減カテゴリー、レストラン探しに関しては完璧主義カテゴリー、体育館のモップがけに関しては完璧主義カテゴリー、アニメのキャラの名前を覚えることに関してはものすごくいい加減カテゴリーです。そして幸いにも手術に関してはどうやら完璧主義カテゴリーに振り分けられたようで、手術を主な生業にする職に就く身としては非常にラッキーであったと思っています。

 

前置きが長くなって申し訳ありません。本題のチームWADA公式Twitter中の人の件です。今までも何度か話題に上げてきましたが、今でもその正体は不明のままです。見知らぬ人同士を繋ぐ現代のSNS時代にあっても、素性を知らない人に公式Twitterアカウントの全権を任せるというのはなかなか斬新だと思っています。その素性が知りたくて奮闘したこともありましたが、今ではすっかり諦めたと申しますか、現状の特異な関係性を楽しむ感じになってきております。スピードとクオリティ、どちらも完璧な人っているんですね。私事ですが、最近の忙しさも相まっておっさんずラジオの更新にあたりブログを書く時間もネタもないので、そうだ、中の人だったら書いてくれるのでは?と割といい加減な動機でメールをしてみたのです。秒で断られる可能性も視野に入れていたので、少し熱のこもった依頼文をしたためました。結果は上記の通り見事なブログを書いていただきました。特記すべきは上記のブログ原稿を含めた返信が私が依頼メールを送った後、わずか40分ほど(ラジオ時間+3分)の「スピード返信」だったということですそして文学・語学に対して全く学のない私は「百聞は一見に如かず」か。。。とサラッとなんの違和感もなく読み流してしまい、本ブログの推敲のため何度も読み返えすうちに(おそらく10回くらい読んだ後に)、あれ?百見は一聞。。。ええええ!!なんかすげーー!!かっちょいいな!ってなったのであります。

 

本来、今回のブログは私の文章は書かずに、中の人の原稿をそのまま投稿して「完了」する予定でした。しかし、少なくとも中の人へのお礼の言葉を文末に足さなくてはならないだろうと考え始めると、つらつらとこんな感じで長引いてしまいました。どうやら私にとってブログは完璧主義カテゴリーに分類されてしまったようです。それはそれでいいのですが、自分の無益な長文にかなり苦しめられる羽目になっております。推敲を重ねるうちに、ふと中の人ご本人はどんな人なんだろう?と再び想像を巡らせました。私の依頼文には関西弁は一切含まれておりませんでしたので、上記は全て中の人が書かれたということになります。エセ関西弁の中に由緒正しい口語系の関西弁が混じっており、これはわざとエセ関西弁を織り交ぜてカムフラージュしているのかもしれない。つまり生粋の関西人なのか?イヤ、逆に、逆の逆をついて日本人ですらない可能性もあるのか?謎は深まります。

 

では、本来の目的の追記です:

中の人サマ。いつも大変お世話になっております。ハイスピードハイクオリティなブログをありがとうございました。引き続きよろしくお願いいたします。

 

前置きが長くなりましたが(長すぎる)私が言いたかったのは、

「ハリウッドでのタスクはなぜか完璧主義カテゴリーに分類され、超味完成品をお披露目することになって苦しかった」ってことです。

それでは皆さま、ラジオ17改めましてお楽しみください。