お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。

 

私には歴代のアニメ師匠がいる。

 

私の基本的な傾向として、同じことを繰り返すことに全く苦痛を感じず、それ自体に意味があるなしに関わらずルーティンを継続することを美徳とする習性がある。これは生まれ持ってのものであると思うのだが、人生のさまざまな局面においてプラスにもマイナスにも働いてきたと思う。例えば勉学である。本来、勉学というのは勉強する内容に興味を持ち、その分野の新しい知識を学ぶことに喜びを感じたとき、それにのめり込みその結果成績が伸びたりするのが良しとされるのであろう。もしくは、逆に成績を伸ばすことに情熱を持ち、勉強にのめり込むのも素晴らしいことだ。私は勉強は人並みに嫌いだったし、成績も大したことないくせに「勉強に何の意味があるのか」などと言いつつ斜に構えた極普通の痛い青年であった。私の叔母は数学の個人塾を経営し、その講師をしていた。そこに通うと数学「だけ」は学年トップになると言われるほどその地域では有名な塾であった。短絡的で楽観的なうちのオカンはもちろんその塾に私を放り込んだ。当初、私は惰性で通っていたし、宿題はやったりやらなかったり、身内であることも相まって、めんどくさい生徒であったと思う。でもある時、叔母塾長が私に365ページある自前の問題集を作り、1日1ページ(確か1ページ5問くらい)だけやるように指示してきた。指示は、1日必ず1ページだけする、やらない日があったり、辻褄を合わせるために1日2ページやるのも厳禁。「めんどくせーなー」と最初は思ったが、とりあえずやり始めるくらいの従順さは持ち合わせていた。そして私は自身の「ルーティン力」に目覚めた。1日1ページの問題を解く、というルーティンは、私から”数学を勉強している、これで成績が伸びる(かも)、今嫌いな勉強して努力している”など一切の邪念を掻き消して、ただ毎日問題集を1ページ進めるという機械的なタスクを生活の一部に組み込むことになったのだ。結果として、数学を勉強している意識もなく数学の成績「だけ」は本当に学年トップレベルになった。今思えば叔母の行動は、私のこの習性を見抜いてのことだったのだろうと思う。その後も、私はこの自身の習性を利用して、外科医のトレーニングなどに応用し功を奏していると思っている。叔母に直接伝える機会はなかったが感謝している。

 

誰かの手により対外的に作られたルーティンであったり、仕事上必要なルーティンであれば、第三者から監視・評価されるため、その方向性が間違っている時などには介入や指導が入るため問題ないのだが、これが私個人のルーティンで誰の監視の目にも触れない・間違っていても誰も困らないようなものの場合は、やや問題となってくる。いや、別に問題はないのだが、「成長がない」という欠点が出てくるのだ。

 

私においてはそれがマンガ・アニメである。小学生の頃に流行ったいわゆる「ファーストガンダム」は、毎週欠かさずテレビで見ていたし、録画も欠かさなかった。当時は今はなきVHSだ。その後もずっとその録画を何度も見続けていた。とても楽しく良い時間だったし、そしてもちろん同じものを見続けても誰も困らなかった。そんな私の不可侵領域に介入してきたのが、初代アニメ師匠の萩原くんだ。萩原くんはいわゆるマンガオタクだった。そしてガンダムしか見ない私に「一度はこれも試してみろ」といろいろなマンガを薦めてくるのである。私はガンダムにしか興味がないのでずっと聞き流していた。しかし、なぜか萩原くんは諦めなかったのだ。「強殖装甲ガイバー。ガンダムが好きならこれは必ずハマるから!一度でいいから読んでみろ!」と半ば強制的に単行本を貸してくれた。結果、ハマった。借りた本はずっと返さず何度も読み返す羽目になった。問題はガイバーは完結していなかったので、次の話が気になって仕方なかったことだ。本も返さずよく言えたものだが、未完結であることを何年にも渡ってずっと萩原くんに文句言っていた。見かねた萩原くんが、じゃあ次はこれだと貸してくれたのが、寄生獣だ。まあもちろんハマった。これもまた当時は未完結だった。その後はガンダムを見つつ、寄生獣とガイバーを読み返しつつの新刊を追い求めるようになった。寄生獣は無事完結し、なんと今は米国のNetflixでアニメ版が観れるのでリピートリストに入っている。ガイバーは2016年の32巻を最後に更新が止まっている。諦めずに今も待ち続けている。2代目のアニメ師匠はジブリ推しだった。時代の流れで流行っていたこともあり見事にハマった。もののけ姫においてはお金のない学生時代であったが、10回くらい劇場に足を運んだ。DVD発売後はもうリピートパラダイスである。渡米後は千と千尋の神隠しをポータブルDVDプレーヤーで子守唄代わりに見るのがルーティンだった。DVDプレーヤーが壊れるまで6年ほど続いたので、おそらく千尋の冒頭部分は2000回以上見ていると思われる。セリフは全て頭に入っているので、無音声でも観ることができるという「なんの役にも立たない特技」ができた。

 

なぜ私がつらつらとアニメの話をしているのは別にリピート自慢(?)するためではない。うざくて長い文章を読む体力のない読者の皆さんを淘汰するためでもない(とっくに淘汰されてはいると思うが)。

 

3代目アニメ師匠のことを書きたかったからだ。

 

渡米後はVHSデッキがなかったので、ファーストガンダムの録画は見られなくなっていた。ガンダムVHSテープは今でも大切に保存しているが、卒業アルバムなど一緒に「想い出ボックス」の中にしまってあり活躍の場がない状態になっていた。日本にいるときに電子ファイル化しなかったことをずっと悔やんでいた。幼少期から何十年もかけて出来上がった私の「ガンダム、ガイバー、寄生獣、ジブリ」でできた小さなアニメの箱庭で、私はなんの不満もなく自由に過ごしていた。そんな箱庭の外を一見しようともしない私を今日のアニメレベルにまで引き上げてくれたのが、3代目アニメ師匠である。3代目師匠と先代の師匠たちとの最大の違いは、私の趣味嗜好に基づいておすすめを選択してくれているのであろうという点である。先代師匠たちは言うなれば自分の好きなアニメを私に薦めてくれていただけであったが、3代目は私の過去のアニメ歴や好みを伝えるとそれに応じたアニメを紹介してくれるのだ。また、このシリーズを見終わって、気に入ったのであれば、次はこれだ。というように見る順番も考慮に入れてくれているようだった。驚くべきことに、3代目師匠は私のこのブログも通読しており、「そのような考え方や生き方をしているのなら、このアニメを見れば勉強になるし、感じるものがあると思う」などと一見私の好みでないようなジャンルのアニメを紹介してくれたりもした。そしてそれらがドンピシャ私の心に雷鳴を轟かすのである。そのアニメ道(?)はどうやら「3代目師匠の師匠」から習ったものらしい。私は孫弟子にあたるようだ。

 

ご指導いただいたアニメを上げればキリがない。お陰様で私は凝り固まった箱庭の世界観から徐々に広がり変化を持ち、柔軟性と寛容性を会得し、アニメの枠を超えていかに有意義に生きるか、どうやって前に進むか、人生を学んでいる。

 

同じことを飽きずに続けれらる習性というのは、裏を返せば「変化を嫌う」習性でもあるのだ。いつも「同じ」であり継続的であることが「善」とされる事柄においては、遺憾なくその「何も考えずにやるべきことをこなす」ルーティン力を発揮できる。しかし、常に変化や成長が求められる局面においては、苦手意識が芽生える。しかし、社会的知性や根性で自分に喝を入れて、自らを鼓舞して変化や成長を受け入れ追い求めるように自分を仕向けるのである。それを「努力」と言ったりする。私にとって臨床・トレーニングはそれらが混在している状態にある。ルーティン力によって努力を無意識領域にまで追いやり単なる日々の嗜みとして向上できる部分と、医療知識・技術を時代に合わせアップデートするために変化を受け入れるべく意識的に努力しなくてはならない部分の混在である。私がアニメ道を通じて3代目から教わったのは、努力をしている意識なく「努力」を継続・攪拌・進化させるには、自身の基盤に「変化」「好奇心」といった自分にとって真新しいエッセンスを乗せることで、自分の基盤が四方八方へ広がる相乗効果があるということだと今のところ認識している。ともすればルーティンから抜け出せず雁字搦めの私の人生をどうやって広がりを持たせるか教えてくれている3代目師匠には感謝している。自身の評価としては、近年絶大な進化を遂げていると感じている反面、人間やはり基本的な部分は同じなのかなと思ったりもする。つまり、お気に入りアニメは増えていったが、繰り返し見る習性は変わらないため、アニメリピートリストが増えた分、より膨大な時間をリピートに費やしているのである。変化や成長を重んじるならリピートせずにどんどん新しいものに挑戦すれば良い、はずなのだが、リピートは私の原点のような気がするのだ。さらに付け加えるなら、リピートすることで物事を咀嚼し理解を深め、変化にさらに進化へと昇華させることができ、大切な部分を意識下まで刷り込むことができるのだ。と、言い訳してみたりする。私のリピート癖については3代目師匠も諦めているようである。Netflixで大半のアニメを鑑賞しているのだが、Netflixの欠点は、古いアニメが消される傾向があるのである。ワンパンマン絶賛リピート中にネットフリックスから消えた時には3日間くらい寝込んだりもした(寝込んでない)。ルーティンが崩れて戸惑う私に3代目師匠が勧めてきたのが、「クランチロール」である。クランチロールとは、とんでもない数の日本のアニメに特化したサブスクだ。これをサブスク契約してしまえば膨大な「変化」の材料が眼下に広がることになる。躊躇いつつもクランチロールリストに見てみた。そして私は見つけたのだ。ファーストガンダムTVシリーズである!あのVHSに収められた今はもう見ることのできなかったファーストガンダムがリストに入っている!!そう、人生は巡っているのだ。人生は広がり、変化し、成長し、昇華する。そして巡り巡って原点回帰するのだ。(知らんけど)

 

自身の固定概念から抜け出せない皆さん、新しいものへの徒労感と不安感で押しつぶされそうになっている皆さん、変化を忌嫌い一見安全に思える安定感という箱庭の牢獄に閉じ込められている皆さん。もし新しい道が見えたなら踏み出せばいい。人生はめぐりめぐって原点回帰する。だから心配せずに新しい一歩を踏み出せば良い。その時に師匠がいるならば、師のススメに耳を傾けるのも一興である。そういう話です。

 

さて、ラジオです。今回は、言葉尻を修正してくれる「師匠」に巡り会えなかったため、清寿軒(けん)のことを清寿園(えん)と間違って呼び続ける恥ずかしいおっさんの物語です。それではおっさんずラジオvol.24「箱庭 〜守破〜」で無駄時間の極みをお楽しみください。

 

 

愛に溺れて あなたに疲れ 生きることにも ため息ついて

想いで迷子(1986年 唄:チョー・ヨンピル)の一節である。

私が数学塾に通っていた高校生の頃、叔母がよくチョー・ヨンピルのことを必死に「チョー・ヨルピン!チョー・ヨルピン!」と呼んでいた。ヨルピンってなんやねん!クックロビンみたいに言うな!(パタリロ・クックロビン音頭で検索)と心の中で思いながら聞き流しつつ、「この人(叔母)は数学に溺れて疲れてるから言葉尻もあやふやなんやな」とため息をついていた。今回のラジオで必死こいて清寿軒のことを「清寿園!清寿園!」と連呼している自分自身を目の当たりにして、当時の叔母もこんな感じだったのかなあと感傷に浸り、自身の変化を受け入れようとする自分がいる一方、清寿園ってなんやねん!永谷園みたいに言うな!と思ったりもした。

 

追記:3代目からは次の「課題」をすでにいくつか頂いている。すぐにでも課題にとりかかりたいのは山々であるが、順番にこだわってしまう私の悪い癖が出ている。3代目師匠を紹介するためにまず順番通り初代・2代目を紹介せずにはおれない性分であることからも分かるように、「この三連ブログを完成させてからでないと次のクランチロール入会に進めない」と思ってしまったのである。ゆえに今はまだ入会できずにいる。これでブログ2つ完成した。あともう1つ書いたらクランチロールの海に飛び込むのだ。新しいことに期待しワクワクできるようになっている(まあまずはファーストガンダム見るのだが)。私は変化している。それが退化ではなく進化であれば最良である。