お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。

 

「卒業式で卒業ソング合唱を大きな声で歌った人は、その後どんな人生を送っているのか」

 

長年に渡るの個人的な議題である。私は歌わなかったのだ。近年ではYELLやレミオロメンなど、曲名なのかグループ名なのかよくわからない流行の歌が卒業ソングになっているとも聞く。私の時代はなんと言っても今日の日はさようならである。こう書くとどこからどこまでが曲名なのかよくわからない感じがする。私の時代はなんと言っても「今日の日はさようなら」である。こう書くのが正解なのだろう。時代が変わっても卒業ソングというのは分かりにくい要素を含んでいるらしい。めんどくさいものだ。別にいいのだがそもそも曲名がめんどくさい。今日の日はさようならってなんやねん。今日って言っといてからになんで日ってつけんねん。「今日」だけでええんちゃうんかい。今日の日ってなんやねん。「最後の結末」みたいに言うな、ダブっとるねん。

 

「YELLっていい歌だよね」

「YELLみんなでカラオケで歌っちゃおうぜ!」

「あ!卒業式YELLだったんだ?!私なんか中学も高校もYELLだったよ!」

 

これはまあ分かる

 

「今日の日はさようならってええ歌やな」

「今日の日はさようならみんなでカラオケで歌おうや!」

「え!卒業式今日の日はさようならやったん?!僕なんか中学も高校も今日の日はさようならやったで!」

 

めんどくさいねん!長いねん

今日の日はさようならってなんやねん(2回目)。頭痛が痛いねん!

 

もうお分かりかと思うが、ここでの問題は曲名にあるのではなく、私がめんどくさい人間であるということなのである。なぜ私はめんどくさい人間になってしまったのか?結論から言えば、それは卒業ソングを歌わなかったからなのである。

 

今日の日はさようならは大好きな曲だった。もし声に出して歌えば上手く歌えそうだという感覚はあった。卒業式の予行演習を重ねる度に、その感覚は強くなっていった。自分は上手く歌える、そんな確信と共に、歌いたいという強い欲求に支配されていった。でも歌うことはなかった。なぜならその時すでに自分だけの不文律があったからだ。

 

「合唱では口パクする」

 

意味不明な不文律であるが、自分で作った決まりなので逆らえなかった。この不文律の始まりについては覚えていない。ただ物心ついた頃には「口パクでしのぐ」と決まっていたのである。人前で歌うのが恥ずかしい、自分の歌声を聞いた隣の人がなんて思うか気になる、物心もついていない幼い私が作る不文律の始まりは、おそらくこんな感じだろうと容易に想像がつく。ただ私が特殊だったのは今も昔も「決まりごと」をなんの疑問も持たず継続することができてしまうという点なのである。今時のAIですら「このまま続けてよろしいでしょうか?」と聞いてきそうな単純な流れ作業も、それが「決まり」である限り私はなんの疑問もなくやってのける。歌いたいなら歌えばいいじゃないか、歌いたいのになぜ歌ってはいけないのか?!など問題提起をしないのである。実際、私は自身が作ったその不文律を厳守し、すべての卒業式において一度も歌ったことはない。ちゃんと最後までやり切ったのだ。

 

そして私は歌わなかったことを後悔している。本音を言うと歌いたかったのだ。確かに自身を律してルーティンを貫き通すこの能力は、人生のいろいろな局面で私を助けてくれたと思う。言ってしまえばその能力がなければ今の自分はなかったとすら思う。しかしそれでも私は歌いたかったのである。人生の半分以上をすでに生きたであろう私は、失敗する度に、反省し改善・向上させる習慣が身についてきた。それ自体はとても良いことだと思っている。しかし、失敗し反省するたびに、なぜかそれとは関係ないはずの卒業式ソングのことを思い出し、いつの間にか卒業ソングの反省に、いや卒業式ソングの後悔にすり替わってしまうのだ。このような負のループを最後の卒業式以来、私は何十年も続けているのだ。今となっては卒業式という機会がないので雪辱を果たしループを断ち切ることすらできない。卒業式があればいいのだが、一体何から卒業すればいいのだ!と尾崎豊ばりに叫んでみたくなる。

 

だから、思うのだ。反省するたびに頭をよぎるこの取り返しのつかない後悔をループしどこにも進めない私が、もし卒業式で高らかに歌っていたら、その後の人生、つまり今の人生はどのようなものになっていただろうか?ずっと考えているのだ。めんどくさい。そう、この文章は読んでいる間中ずっとめんどくさいのだ。私はめんどくさい人間なのである。それもこれも私が「今日の日はさようなら」を歌わなかったせいである。

 

それではここでラジオです。今回のラジオは、おっさんずラジオライブ2025を無事(?)に終えて、反省会をしているめんどくさいおっさん二人の物語です。それではおっさんずラジオvol.30「直角ライフ」で無駄時間の極みをお楽しみください。

 

 

あなたは卒業ソングを歌いましたか? もし歌っていたならば、今どんな人生を送っていますか?

 

奇しくも30代40代をアメリカで過ごし、さまざまな文化や考え方、常軌を逸した概念にも接してきたつもりでいた。渡米当初はそんな経験を元にイキリながら出羽守しちゃった恥ずかしい黒歴史もある。しかし、それは自分自身が日本のことをよく知っているというのが大前提としてあってのことだった。今回の総領事公邸訪問は「知り尽くしている」はずの日本の中に、私の想像を超えた人たちが存在しているという知見をもたらしてくれた。しかも、彼らは同じシカゴの街にいたのだ。世界はとんでもなく広いのだと知ったなどというありがちなことではなく、自分の見てきた世界がとんでもなく狭く限られた箱庭であったと知ったのである。このような機会を与えてくれた総領事、紹介してくれた某三宅先生には深く感謝したい。そして、完全にルーティンループの枠外からのイレギュラーな招待を受けてみようと思った当時の自分に賛辞を送りたい。

 

ルーティンを構築し無心に繰り返すことで困難を乗り越え、不安をcomfortable zoneへと取り込んで無毒化することで積み上げてきたのが私の人生なのだと思う。努力を無意識下に落とし込むというルーティンの最大の利点がある一方、見方を変えれば箱庭でループするだけの「機械」を生み出すという大きな欠点もあるように今更ながらに認識している。

 

素直にまっすぐになりたい。無数にある我流不文律から解放されたい。直感で動きたい。「あー」とか「えーと」とか話の間に入れない人になりたい。どんなに食べても太らない体質になりたい(関係ない)、できればイケメンになりたい(無理)、そんな直角ライフに憧れている。思考の無限ループから抜け出して、四方八方に飛び出す直角ライフ。さぞ楽しいに違いない。

 

〜この支配からの卒業〜である。 

「最後の結末」としては悪くない。

 

 

前置きが長くなりましたが、皆様、あけましておめでとうございます。今年もチームWADAをよろしくお願いたします。

チームWADA副代表