お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。

 

イチローの後になぜイチローが育たないのか

イチローの後になぜ大谷が育ったのか

 

高校時代、部活帰りに最寄り駅前の商店街でよくハムカツを買い食いしていました。ある日いつものハムカツを購入したのですが、なぜかハムが入ってなかったのですよね。つまりは四角い衣だけの状態だったんです。サクサクの衣をガブっと一口。いつも通り美味しい!。。。と思いきや、ん?ハムがないやないかい状態で、友人達と変なテンションで大笑いし盛り上がったものでした。帰りの電車で一人になり「思い出しなんでやねん」をしながら、ふと思いを巡らせていました。

 

そもそもハムなしのハムカツってどうやって作るんだろうか?チーズバーガーのチーズ抜きとは訳が違う。チーズバーガにはチーズがなくてもバーガーの土台となるバンズとパテがある。ハムなしのハムカツは一体何に衣をつけて揚げるのだろうか?ゼログラビティの無を刹那的に浮世に召喚し具現化させ瞬時に衣をつけて油の海へキャスト、無が四次元へと昇華すればハムなしのハムカツ出来上がりだ。つまり無のカツである。

 

高校生にもなって厨二病全開だった私にとってこの日の召喚騒ぎは厨二病をさらに「痛いレベル」までレベルアップさせる出来事でした。妄想の世界で1日のほとんどを過ごしていた私は、いろいろな設定を検討しながら妄想にふけっていました。例えば:

 

人類が全て「私」だったらどうなるか?

 

当時、私は学内で完璧主義かつ理論派で通っていた(勝手に自分で思い込んでいた)ので、全人類が性別や年齢はそのままに「私」の思考・理論を持つと世の中が全てうまくいくという仮説を立てていました。

単純にルールを破る人はいなくなるだろうし、戦争や争いごとが完全に消滅するであろう。何もかも完璧なので交通事故も起こらないだろうし、ご飯の食べ残しもこの世からなくなるはず。私がこの世を掌握すればハムなしのハムカツのようなパラドックスも起きないはずだ。

 

まあこんな感じです。イタイですね。正直に言うと、クラスの可愛いあの子が「本物の私」を好きになるように操作しようと計画しニヤついていたこともこっそりと申し添えます(自分以外の「私」の意思を都合よく操作できる設定になっていた)。つまりは私自身が規範となる世の中こそ至高というありがちな設定ですね。しかし、今思えばこの設定は穴だらけで、そもそも多勢が存在することによってのみ実現可能な「多様性から生まれる革新」というものを何も理解していなかったと思います。私は国語の勉強が嫌いで、文章を書くのが苦手なので、「私」の思考がこの世を統治すれば本や小説は消え去っていただろうし、保守派で同じことを繰り返すことを好む「私」からは新大陸の発見も起こらなかったはず。こうしてどこかの偉い人が創り出したネットという確かに存在するのだが手にとって見ることのできない不思議な世界の片隅に、自分の思いをつらつらと書き残せることもなかっただろうと思うのです。冷静に考えてみれば、この世には自分の認知の及ばないこと・できないことで溢れかえっています。それは個々が自分にできることを全うし「役目」を果たすことで、自分のできないことを補完し合って支え合い、結果として一見何もないようなところからハムなしのハムカツのような革新性に富んだ新しいもの・飛び抜けたものを創り出す「多様性の渦」の中で我々が生きているからに他ならないのです。

 

(知らんけど。)

 

私は至って平均的な心臓外科医です。心臓外科医でごった返す渋谷のスクランブル交差点で石を投げれば大概私のような普通の外科医に当たるくらいのいわゆるそこら辺によくいる心臓外科医だと思います。

 

まあ私は渋谷に行ったことはなのですけどね。でもたまに渋谷スクランブル交差点ライブカメラ映像を見て人間観察をしたりはしていて、渋谷スクランブル交差点には少し詳しいのです。

 

そんなどうでもいい話はどうでもいいのです。ご存知の方も多いかと思いますが、心臓外科界にはたくさんの変わった。。。もとい、さまざまな個性を持った人々がいてまさに多様性に富んでいます。現にシカゴ大学では変な方向に突き抜けた心臓外科医が何人か在籍し、私はその多様性の中で日々荒波に揉まれております。そのような多様性はシカゴ大学に限ったことではなく、日本を含めた全世界に当てはまります。

 

心臓外科のトレーニングでは上司の手術をコピーして習得していくという文化があります。技術職においてはまず師匠を模倣するところから始まるのは当然のことだと思います。ただし一つの手法・一つの技術に偏ることがないように、トレーニング期間中はできるだけ様々な外科医からいろいろな技術を学び吸収し、それらを総合的にかつ部分的に積み上げていき最終的にいいとこ取りをして自分の形として体得し心臓外科医として独立できるのが一般的に良いトレーニングであると考えられています。独立後もその技術を向上し変革させていくのは当然のことなのですが、体得し練り上げた技術がある程度「完成」し自分に自信がついてきた頃に心臓外科医には別のタスクがやってきます。

 

後進の指導です。

 

今まで学び成長することのみに集中してきたがゆえ、指導・教育について専門的に勉強したこともない教育の素人である心臓外科医が、ある日突然自分のもつ技術を「一対一で後進に伝えよ」というタスクを課せられると何が起こるか?自分がやってきたトレーニングと同じことをせよ、自分が今やっていることと同じことをせよ、と自身と「同じ」外科医になることを強制するようになるのです。なぜならそれが一番手っ取り早く、何よりそれ以外の手法を知らないからです。修練中はいろいろな技術に触れて多様性の中で学んできたにもかかわらず、指導者になった途端そのことを記憶の彼方へ押しやって独裁的に自分の辿ってきた道こそが至高なりと盲信し、それを強要してしまいがちなのです。厳しいトレーニングをこなし、外科医として激しい生存競争に勝ち抜き、自身に強い自信がある外科医、つまり一般的にいう秀でた外科医になればなるほどその傾向が強いものなのです。優秀な外科医が必ずしも良い指導者でない理由の一つがそれです。もしそのような教育手法を擁護するとするならば、手術技術の指導・継承には常に患者さんの命が絡むということです。術中にトレイニーの多様性の行使を認めると患者さんへの不利益が生じるかもしれない、引いては患者さんの命に関わる重大な弊害が起こる可能性があります。命の現場での教育において常につきまとうジレンマですが、手術の目的と最優先事項を考慮すれば答えは簡単であり、手術とは患者さんのためだけに存在すべきなのです。そこにトレイニーの教育上の多様性など入る余地はないのです。ゆえに術中は指導医のやり方に従うのは絶対のルールであり、それを完遂するのはトレイニーの何よりも大切なタスクです。もちろん厳密には指導医のやり方で問題が起こるかもしれないとトレイニーが考え相談してきた場合は、限られた時間内で議論検討し方針を変更することもあります。しかし基本的には安全性を重視した軍隊方式の命令系統で手術は遂行されます。とは言うものの、そこに多様性を理解しない抑圧的な指導と、多様性の中にあって確固たる一つの基盤として機能する包括的な指導の間には天と地ほどの違いがあります。表向きにはトレイニーは指導医のやり方をコピーペーストし予定通りの手技が施され「手術が無事に完遂された」という事実が残るだけですが、我の「至高の」技術さえ体得すればいいのだという指導下で行われた手術と、多様性を理解し基盤の一つを模倣するという指導下で行われた手術とでは、トレイニーの習熟度は全く異なるものになるのです。前者からは最大限でも自分ごときの単一な外科医しか生まれませんが、後者からは多様性の渦中から抜きん出た「イチロー」が生まれる可能性があるのです。

 

私は野球のことは何も知らないのを承知の上で書くのですが、イチローの指導者たちはおそらく野球選手としてはイチローよりも劣っていたのかもしれません。ただ多様性の渦の中にいて、どの指導者の模倣の型にもはまらないイチローの基盤をなす野球の基礎を叩き込み、多様性を理解し抜きん出ることを「許した」指導者の方々の陰の功績はイチローの「成功」と同様に称えられるべきだと思っています。

 

イチローの後になぜイチローが育たないのか。それはおそらくイチロー自身がやってきたのと同じトレーニングを後進に強要したりしても意味がない(何より真似できない)、イチロー自身の野球スタイルが全ての選手にとって至高であると考えてはいないことなどに起因しているのだと思います。近年、イチローさんが高校生などを指導しているのを目にする機会がありますが、彼は常に「生徒」が多様性の渦の中にあって野球の練習はしつつも何か不安で足が地についていない状況を理解し、その立つべき基盤となる精神論を解いているように思えてなりません。人類全員が「私」だったら世界が破綻するであろうことは明白ですが、野球界が全員イチローであっても成り立たないのです。そして、全員イチローという多様性のない閉塞的な世界からは突飛な大谷選手が生まれないことを知っているのでしょう。イチローさんや大谷選手は育てるのではなく多様性の渦中から生まれるものなのです。

 

(知らんけど。2回目)

 

いつもの通り前置きが長くてすみません。現フェローの「ゆるふわ装い系腹黒」月岡先生がまもなく卒業されます。つきましては後任のフェローを募集いたします。

 

2024年7月開始。期間は2年間。応募資格:USMLE certificate +step3、日本外科・心臓血管外科専門医、英語、海外勤務経験者優遇。

 

指導は当科の心臓外科医全員であたりますが、基本的には私が責任を持って指導いたします。普通の外科医である私が教えることができるのは心臓外科の確固たる基盤となる部分です。手術技術に関しては多様性の理解に努めた上で、私が学んできた技術を伝授いたします。責任を持って心臓外科医のスタートラインまでご案内いたします。興味のある方は私までご連絡ください。

 

ゆるふわ装い系心臓外科医ドクター月岡

(お腹のところが黒いでしょ?)

 

追記:ハムなしのハムカツを楽しく一緒に食べてくれる方、そしてできればいつの日か「心臓外科界のイチロー」となり私の現在の肩書きである「有名YouTuber外科医の元指導医」から「心臓外科界のイチローの指導医」に変えてくれるような方を希望しております。関西弁を使いこなせなくても大丈夫です。よろしくお願い致します。

 

(*尊敬するイチローさんや大谷選手の敬称を読みやすさの観点から文中では省略している箇所もございます。ご了承くださいませ)