お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。

 

忘却は未来への投資である。

 

「いつも全部すぐ忘れるよな」ってよく言われる。まあ概ね事実である。もう慣れているが大抵は「いつも」「全部」「すぐ」の3大形容詞をコンプリートしており、自身に記憶力のかけらもないことを自認されられる。だが厳密には少し違う。忘れるのではなく最初から覚えていないのだ。記憶力がないのではなく記憶の棚に記憶をストックしないのである。日常生活を送る中で様々な出来事や話題が目の前を通り過ぎていく。それらを全て無意識のうちに記憶の棚に並べていき、時間の経過とともに古い記憶から薄まっていき忘却という名の記憶の金庫に封入される。棚を一見すると記憶が新しいものから古いものへとグラデーションのように配置されているのではないだろうか。私の場合は、うまく説明できないのだが、端的にいうと相手が覚えているであろうことは相手の記憶力に任せるのである。何かの話題について私に「いつも全部すぐ忘れるよな」という人は、その話題をしっかりと覚えているのである。相手にとっては私にもう一度その話題を説明しなくてはいけないというタスクを負うのでめんどくさいのは理解するが、私の代わりに「その話題」を覚えていてくれて本当に感謝している。つまり私は人様の脳を借りて生活しているのだ。おかげで私は自分の覚えておきたいことをいつまでも鮮明に記憶しておくことができる。人から見れば気持ち悪いくらい細かなことをずっと詳細に覚えていることが私にはよくあるのだが、それらは私にとっては重要で覚えておきたい事象でなのである。「面白いこと」は私の興味の主眼である。ただ困ることがあるとすれば、なぜか私の周りでは面白いことが起こりすぎることである。中学の時、私の標語が入選して全校生徒の前で表彰状を受け取る時に校長先生の鼻毛がぼぉぉーって出てるのはやめてほしい。高校の時、電車で立っていると隣で立ったまま吊り革に体重を預けて寝ている人がヨダレを垂らして、それが目の前で座って寝ている人の腕に落ちて、座っている人はビクッと起きて何を思ったかそれが自分の垂らしたヨダレと勘違いしヨダレを啜り飲んでしまったりするのはやめてほしい。笑えない状況で笑いを堪えるのは苦行である。とにかくいろんな面白い記憶すべきことが起こりまくるのだ。私が大学受験に失敗し浪人したのはたくさん起こる面白いことを覚えておくために記憶の棚を占領されたからである(単なる勉強不足説あり)。その傾向は今でもあまり変わっていない。面白いことがどんどん起こるのだが全部を記憶の棚に入れていくと収集がつかなくなる。そこで最近は記憶の集積場を作って記憶をまとめて仮保存し、面白いことや思いついたことをリストにメモしている。このメモを見て記憶の細い糸をたどり集積場で記憶を引っ張り出して話すのだ。一度話すとその「記憶」は3つの経路に分けられる。記憶の棚に正式に格上げされるもの、集積場に戻るもの、忘却の彼方に送られるものである。これがおっさんずラジオのメカニズムである。

 

文明はどのように発展したのか?

 

今この文章をみなさんにお届けできているのは文明の発展を我々が享受できているおかげである。文明発達の原点は「記録」である。後世に思想や技術を伝えるため人々は記憶をメモしたのである。もし人類の記憶力が完璧で「忘れる」ということが起こらなかったらどうなるか?人々は自分の経験を記憶し続け、また人から教わったことも自身の記憶の棚にストックし続けただろう。しかし命が途絶えた時点で世の中からその人の記憶は失われる。それでは後世に伝えるには不確実性が高すぎる。人類は自身の記憶力が不確かであることを知っていたがゆえ、記憶をメモに残したのだ。そしてその蓄積された人類の「記憶の書」を基盤として今の文明が発展したのである。つまり忘れることこそ人類の繁栄に欠かせない能力なのである。これが文明の発展のメカニズムである。

 

そう、私は今人類の未来のために「忘れて」いるのだ。忘却は罪ではない、未来への投資である。

 

忘れてましたがこれはラジオのためのブログです。今回は、抜群の忘却力を駆使し人類の未来のために奮闘しているおっさんの物語です。それではおっさんずラジオvol.19「文明の跳躍 起」で無駄時間の極みをお楽しみください。

 

 

かわぼりっち先生へ。

私のために先生の記憶の棚を使わさせていただきありがとうございました。先生が覚えていてくださったおかげで、糸をたどり私の記憶集積場から件の記憶を引き出すことができました。上記のとおり私は忘れていたのではなく人類の未来に投資していたゆえを申し添えます。今後ともよろしくお願いいたします。

 

追記:私の記憶が確かならばこれが公開されるのは日本時間1228日である。今日から4日間、一日ひとつずつ私の記憶を記録していきたいと思う。私も自分の役目を果たそうとしているのだ。そう、人類の未来のために記録するのだ。長々と書いたが私が今日記録しておきたかったのは「言い訳というのはこのように行うのだ」ということである。