最近、結構暇なのでまたグレイズアナトミーを見始めました。そして、コロナ前に澁谷先生がお書きになったブログのことを思い出しました。

日本の「お見送り」のことは知らなかったので調べてみました。こちらとは全然違った暖かいケアでびっくりしました。

私達ナースは、だいぶ前にもちらっと書きましたがもし患者さんが「コンフォートケア」の場合で心停止が確認されてから1分間、心音を聞いて心停止を確認します。そして10分後もう一度1分間心音を聞き、2回目の時間が死亡時刻とし宣告(?プロナウンス)します。多分2回目の時刻を使うんだったと思います。最近そういう状況がないのでうろ覚えです。コードで亡くなった場合は医師が死亡宣告をします。

死亡してから1時間以内に郡の検死課に死亡連絡、ドナーネットワークにも連絡。臓器移植は無理だけど組織移植の対象になるかもしれないからです。もし、ご遺体がコロナーケース(検死官ケース)でないことが確認されたら体に入ってる全ての管を抜くことが出来ます。もし検死官ケースだと全部そのまま残しておきます。検死官ケースの担当になったことは今までありませんが、入院後24時間や術後24時間に亡くなった場合は自動的にそうなるそうです。

検死官ケースでない場合は、点滴やその他の管を抜いて、私はもし汚れていたら少し拭いてから新しいガウンに着替えてから(葬儀屋さんが綺麗にしてくれるからという理由でそのままにしておく人も意外と結構います)ビニールのシートにくるみ、大きいジッパーのついた袋にご遺体を入れ、足の親指と袋のジッパーの所にIDのタグをつけてセキュリティーと一緒に遺体安置所に行って書類にサインをするまでが私たちの仕事です。

そういう流れです。こう書くとすごくドライで悲しい最後ですね。日本のような暖かさは全然ありません。

私はそこまでしか知りませんが、そこからは葬儀屋さんが迎えに来て体を綺麗にしたりお化粧をしたり、またはエンバーミング処置をしてからお葬式になったりするようです。

生死感というと、随分前に友人の母親が末期癌の闘病中に、「彼女(母親)はもうすぐ彼女の両親と会えるから怖くない。彼女が亡くなっても私もまた会えるから大丈夫。彼女が苦しむ必要はないと」いう話をしていて、私は正直そういう事を考えた事がなかったので、なるほどと思ったのを思い出しました。

少し話はそれますが、元気なときに自分が病気になったり事故にあって自分で判断ができなくなった時や意思疎通が出来なくなった時の為に自分がどういう最後を迎えたいかという話をするのはすごく大切だと思います。そういう話はすごく難しい話題で、想像しただけで悲しいし、なかなか話のきっかけを持つのは難しいけど、残った人の為にも重要だと思います。夫にはすごい嫌な顔をされましたが話せてよかったと思っています(笑)