ご無沙汰しております。2018.7-2020.7までシカゴ大学Ota Labo Research Fellowとして在籍させていただいた幸田と申します。太田先生より、Research Fellowが終了し帰国した暁に報告をしなさいとご連絡を受け、快諾したものの、今までの悪い癖であーだこーだ考える内に、あっという間に帰国してから2年8ヶ月が過ぎ去ってしまいました。まさに光陰矢のごとしと実感している次第であります。

医師8年目で研究留学した心臓血管外科医であり、かつまだ日本で手術のトレーニングをそこまで積んだこともなく、研究もしたことないような状態で渡米して、その留学前後最中に自分の感じたことを率直に書くことができたらと思います。

始めに、留学の機会を与えてくださったO先生、相談に乗ってくださったM先生、シカゴでお世話になった太田先生、北原先生、西田先生、橋本先生、渡邉先生、循環器内科 今村先生、新田先生、藤野先生、西村先生、留学中にお会いすることができた皆様方本当にありがとうございました。

 

留学前

 

(家族との相談)

初期研修2年、市中病院で3.5年働いたのちに、K大学病院心臓血管外科医局に入局し、大学院に入学しました。入学後1.5年であり、研究にも手をつけていない段階でシカゴ大学への研究留学の話を当時教授であったO北先生からいただきました。いつかどんな形でも良いから留学したいと考えていた私は、いかせてくださいと即答していました。当時第2子を出産したその日に留学について伝えられたにもかかわらず、いいんじゃないのと言ってくれた妻には感謝の気持ちでいっぱいです。

 

(書類準備、英語試験)

留学前のビザなどの書類準備をしながら、英語のテストなど受けてみましたがさっぱりでした。試験を受けた後、大阪の駅のホームで立っていたとき、本当に少し涙が出ました。留学できないな、これは。と諦めかけていたところ、なんとか試験がないビザにしていただいた太田先生には感謝してもしきれません。

留学前の大学とのやりとり、ビザの手続き、非常に煩雑であり、楽ではありませんでした。しかし、留学という一つの目標に向かってモチベーションも高く維持できていたためこなすことができたんだと思います。

 

(渡米)

なんとか、手続きを終え、私たち家族(当時4人家族であり、32歳、30歳夫婦に2歳半男児、生後半年女児)にとって非常に厳しいものでした、特に飛行機が。高熱を出す息子、異国の方々の中泣き叫ぶ娘。入国できるかわからない不安。太田先生に言われたスライド作成中に突如消えたパソコンの画面。本当に地獄の機内でした。息子のおしりに痛くないぞーと言いながらカロナール座薬を入れ、大丈夫だよーと言い続けながら娘を抱っこしてあやし、入国できなかったらどうしよう、太田先生からの依頼のスライドできてないという不安と格闘した、人生ワースト3に入る13時間でした。

なんとか、シカゴオヘア空港から入国でき、太田先生の共同研究者の方のアパートに到着できましたが、振り返れば、自分に甘い私としてはよく頑張ったと褒めてあげたいくらいでした。おそらく、他の留学者のかたも同様の大変な経験をされているのではないかと思います。

 

上記留学前のイベントは身体的にも精神的にも決して楽ではありませんでした。ただ、何か留学という未知なるイベントに対する興奮、緊張感で乗り切ることができたんだと思います。

 

そして次回、いざ、シカゴで待ち受けていたものは、太田先生という真面目で、熱心で、少しのこだわりを持った先生との出会いでした。