インタビュアー:岐阜大学5年 鳥居 叶愛

        福島県立医科大学4年 瀧本 敬慎

 

この度、国境なき医師団(以下、MSF)でご活躍されております産婦人科医の空野すみれ先生にインタビューする機会がございましたので、その様子を共有いたします!

 

鳥居:まず空野先生の自己紹介をお願いいたします。

空野先生:
(大学時代)

神戸大学時代にはESSというサークルに入って英語ディベートを1年生から4年生くらいで活発に行っていました。元々将来海外で働きたいという目標があったので英語を上達させたいなというのがあって入ったんですけど、結構1年生から3年生までが基礎の科目ばかりで医学部に入ったのに医者になる感覚もなく、将来何がやりたいのか少しわからない時期もありました。大学の交換留学制度で4年生から5年生になるときにオーストラリアに1年留学をしています。実際向こうで学んだのは開発学や途上国の支援、どちらかというと政治学を勉強していたけど、オーストラリアで病院実習する機会があって、そこで病院実習したのが日本を含めて初めての臨床デビューでした。オーストラリアって学生が色々やらせてもらえて、救急外来のファーストタッチとかも学生がやって、問診とって採血のリストも考えて、採血してルートも確保した上で上級医に報告するという感じのことをやっていて、結構面白かったです。

あと大学時代に海外での実習を色々やりたいなと思って、6年生の時にキューバに行ったり、ハワイでも実習しました。

 

(初期研修病院時代〜現在)

将来MSFで働きたい、できるだけ早く行きたいというのがあって、できるだけ全身管理をできる、自分で手を動かして初期研修医が主体でできる病院はどこだろうという視点で病院を探して、結局福岡の飯塚病院というところにマッチして、3年間そこで初期研修+1年産婦人科研修をしてから、結婚のタイミングで東京の都立大塚病院に異動しました。

そこで残りの研修をして専門医をとって、できるだけ早くMSFに参加したいと思って初めて参加したのが2018年です。そこから南スーダン、ナイジェリア、コートジボワールで立て続けに活動しました。海外派遣の間の期間もちょっとあったので4ヶ月間、WHO西太平洋事務局でボランティアをしたりしていました。

結局海外行って、WHOの現場とかも見て、病院の臨床の行為はその人の健康に関わる本当に一部なんだなと思って、公衆衛生の分野を勉強したいなと思って2019年からロンドン大学に修士号を取りに留学して、そしたら2020年にコロナになって、途中で帰国してオンラインに切り替わって、そのままロンドン大学と長崎大学の合同博士プログラムというのに入って今に至ります。なので今は大学院生と元々やっていた西太平洋事務局でコンサルタントという仕事をしながら活動しています。

 

<私生活について>

鳥居:(結婚や子育てについて)私生活について教えてください。

空野先生:学生の時から付き合っていて夫はずっと東京で働いていて最初から遠距離恋愛で始まり、2015年に結婚して、最初の1年間私は飯塚にいて、夫は東京にいました。東京に引っ越して3年くらいは一緒に住んでいたんですが、そのあと夫がマニラに赴任になって、東京とマニラの遠距離婚が始まり、さらに私はアフリカに行ったりして東京-マニラ-アフリカ、マニラ-ロンドン遠距離婚となって、コロナになって少し落ち着いて、マニラに2年半くらい住んでいて、その間に第1子を出産しました。今私は長崎大学の学生でもあって、自分の研究のフィールドがザンビアにあるので、長崎とマニラとザンビアを行き来しながら生活をしています。ザンビアに行っている間はマニラにいる夫に2歳になった娘を預けています。

 

鳥居:旦那さんは医療従事者の方なのですか?

空野先生:そうです。夫もドクターで、9個上なので私が学生の時から臨床医をしていて、途中から行政の方の仕事、WHOのマニラの事務局で働いています。

 

<海外派遣について>

瀧本:大学時代より海外留学を意識されてきたとのことですが、派遣先として途上国を選ばれている理由はなんですか?

空野先生:元々MSFで活動したいなと思っていて、MSFが活動しているところっていうのは医療が行き届いていない所だったり、紛争が起きていたり、災害が起きて困っていたりというところで、元々そういうところに行きたいという思いがありました。先進国も、オーストラリア留学に行ったり、実習でハワイに行ったりして、先進国の臨床もいいなと思って一時期学生の頃はUSMLE勉強したりもしたんですけど、結局MSFに行く近道を考えたときに、日本でトレーニングをしてある程度専門をとってから、海外臨床留学するのではなくてMSFにまず入ることが一番じゃないかなと思いました。

瀧本:元々将来の目標が途上国で支援を行うということで、そのために英語力を鍛えるためにオーストラリアなどに留学に行ったという形ですかね。

空野先生:そうそう、そんな感じです。

 

瀧本:MSF以外の団体で働いた経験はありますか?

空野先生:私自身は残念ながらないですね。高校生の時に読んだ本がMSFの先生の本で、すごくそのインパクトが強くて、結構猪突猛進にMSFっていう感じで他の団体を考えることはなかったですね。

瀧本:ちなみになんていう本か覚えていらっしゃいますか?

空野先生:「『国境なき医師団』が行く」という本で、産婦人科医の貫戸朋子先生っていう方なんですけど、英語のCROWNっていう教科書のレッスンのどこかで出てくるんですよ。それですごくいいなと思って、その本を買い求めました。高校生の時に自分は生きている実感がない中で、イラク戦争が自分が中高生の時にあってそれですごく心を痛めていたんですけど、目の前の命に向き合っている姿とか、実際に戦地に行って活動して、反政府軍が誰も入れたくないという地域にも医療をする団体だけが入って活動して実際見てきたものを伝えられるというのがジャーナリストでも入れないけど医師だから入れるというのがすごくいいなと記憶に残りました。

 

瀧本:派遣先での具体的な勤務時間や日常生活を含めた現地での過ごし方を教えてください。

空野先生:これは多分プロジェクトによって全然違って、すごい忙しいプロジェクトと余裕のあるプロジェクトとあるんですけど、他のMSFで活動した方の本、例えば白川優子さんの「紛争地の看護師」とかを読むと私なんか甘っちょろいプロジェクトにしか行ってないという風に思ったんですね。そういう風に差し引いて聞いていただきたいんですけど、私がいったところは戦場の最前線ではなくて、産婦人科医は私1人、もしくはもう1人いるかといった感じで、南スーダンでは私1人しかいなくて、大体朝7時くらいに宿舎から病院に10分ぐらい歩いて行って、病棟回診をして患者さんの状況を確認して必要な指示があったらして、あとは緊急の患者さんがくるかどうかによるという形でした。あとは外来もたまに呼ばれました。それも不定期という感じでした。私しか産婦人科医がいなかったので24時間週7日、いる間は常にオンコール状態という感じでした。呼ばれる時はすごい呼ばれるし、呼ばれない時はあんまり仕事はなくて、土日とかはバレーボールやバドミントンをしてました。MSFは元々フランス人が作った団体なのでちゃんと楽しもうという企画はしっかりあって、夜団欒するようなソファがあってみんなゲームしたりとかお酒飲んだりとかテニスコートを庭に作ったりとか、そういった娯楽はありました。食事や洗濯は現地のハウスキーピングの人がやってくれるので、本当に現地に行っている間は仕事だけしていればいいみたいな環境でした。治安によってですけど、私がいったところは比較的治安が良かったので、現地のマーケットに行けるのは楽しかったです。

瀧本:外来というのは産婦人科の外来ということですか?

空野先生:いい質問ですね。MSFは安全な中絶というのを提供しているんですね。MSFが活動している国は避妊が十分に行き届いていなくて、望まない妊娠をしてしまう女性が多いです。実際に妊娠した時の死亡率も高いし、自分で中絶を試みてしまう人も中にはいて、安全でない中絶で命を落とす人が多いんですよね。なので、安全な中絶を提供していて、それを現地の人が提供すると文化的にも法律的にも危険が及ぶので、私みたいに外から行っている人が外来で中絶のカウンセリングやケアをしてます。外来というのは中絶に特化した外来でした。あとは性被害後の外来。性被害後のHIVの予防投与などもやっていました。

瀧本:そういった性被害後の女性というのは精神疾患に罹りやすいと学んだんですが、精神科的なケアは充実しているのでしょうか。

空野先生:精神科医というよりは心理士さんがMSFのプロジェクトで派遣されることはあります。ただ、それはまだ全然充実していなくてうまくいっているところと、人が足りなくてまだそこまで手が回っていないところがある。私が行っていたところは心理士さんがいなかったのであまりその辺のメンタルのフォローアップはできなかったですね。中南米のプロジェクトをやっている助産師さんなんかに話を聞くと、心理士さんが入ってチームを組んでいるところもある。例えばギャングにレイプされた女性などはその後の身の危険もあり、社会的なケアにつなげることもあります。

 

瀧本:自分の身が危険になることはありますか?虫が大量発生していて感染したり、体調を崩したりということはありますか?

空野先生:あります。危険はないんだけど、虫の問題はあります。国にもよるけど、南スーダンは虫がすごく多くて、私雨季に行ったんですけど、蚊が大量にいて朝起きるとシンクに蚊が大量に死んでいてシンクが真っ黒なんてこともありました。あとは部屋にトカゲとかゴキブリが入ってくることはあったり、蚊に刺されることもあったけど、蚊除けのものを持っていくとかなり防げました。プロジェクトによってもかなり違って、南スーダンはキャンプ場みたいな宿舎だったのでかなり虫が多かったですけど、しっかりした住宅みたいなプロジェクトもあって、コートジボワールの時がそうだったんですが、そういったところは虫も少なくて快適に過ごせました。

体調が悪くなることはあったんですけど、自分もドクターですけど、メンバーの体調を気遣うドクターがいるので、なんかあったら薬ももらえて、場合によってはmedical evacuationっていうこともあって、別の国で治療を受けるなど、体調崩してもサポートはあります。

 

瀧本:現地ではどんなことを考えて活動をしているんでしょうか?

空野先生:活動によって違うんですけど、初めていった南スーダンのときは見たことのないような症例が多くて、日々患者さんのケアをするのに一杯一杯で、ひたすら自分の仕事に向き合うという感じでした。例えば脳性マラリアの患者さんがきてどうやって治療するのかってなった時に、インターネットが通じるので頑張ってUpToDateとかで調べたり、現地の助産師さんにするトレーニングの準備をしたりと日々仕事に向き合ってたって感じでした。

活動を重ねたからか、コートジボワールの活動がそれほど大変ではなかったからか、コートジボワールにいる間は街に出てショッピングしたり食事楽しんだり仕事以外のことをする時間もありました。チキンを頼むとその場で走っているニワトリを捕まえて捌いてくれるなど日本では考えられないような食事が出てきて美味しかった。

瀧本:食が合わないってことはなかったですか?

空野先生:人によるかもしれない。基本的にはMSFはコックさんにレシピを教えて、我々外国人が美味しいと思える食事を作ってもらうように教えているので、出てきた食事は現地のものもあればピザとかパスタとか出ることもあった。日本食はすごい恋しくなって、ラーメンを日本から持って行って大事に大事に食べてました。

 

瀧本:日本の病院との両立はできるものなのでしょうか?

空野先生:私自身は辞めて参加していたので両立はできていないんですけど、前例はいくつかある。一般的には難しいけど、やっている人は増えてきています。個人で交渉して日本で半年、海外で半年働くという契約を病院と結んで、表上は常勤スタッフとしているけど給料は半分にしている先生だったり、1年間のうち3ヶ月間は自分の好きなように使っていいという契約を結んでいる先生もいる。あとは沖縄の八重山病院というMSFの救急の先生がたくさんいるところがあって、MSFから帰ってきたらそこで交代で働いている病院もある。

あとはアメリカのERドクターでシフトを詰めて、休みを何ヶ月か作ってその期間に海外派遣しているという先生もいる。そういった病院を増やしたいとMSFも渉外活動をしていたり、病院側としても0よりは0.5でもいてくれると助かるというところも結構あるので、そのへんのニーズがマッチするといいなとMSFも言っていますね。

稀に医局に所属しながら行き来している先生もいる。ある程度実績が認められているからかもしれないけど、年の半分くらい海外に行っていると思う。

 

瀧本:ぶっちゃけ給料の話が聞きたいです!

空野先生:実際はネットに載っていて、「派遣されるポジションや過去の経験によって算定し、月額23万円から57万円が支給されます。」って載ってますね。

私は何か引かれてしまったのか手取りが月15万くらいだった気がするんですよね。それが日本の口座に入ってくるっていう感じでした。

 

瀧本:これまで色々な国の医療を経験されてきたと思いますが、各国の医療の違いで感じたことを共有していただけますか?

空野先生:最初に行った南スーダンが一番大変な国って感じでした。日本でいう200万人医療圏、県単位以上の範囲から患者さんが来るんですよね。患者さんによっては本当に3日間歩いてくる人もいるくらい、他に病院がない。できる検査も限られていて、例えば腹水が溜まっている患者さんの肝機能が見れないとか、あと電解質も見れなかったり、かろうじてCBCとクレアチニンは見れるくらい。本当に限られているっていう感じでした。産婦人科に関しては超音波があったのでそれで見ることはできました。限られた検査で方針を決めて治療していかなければいけないというのが南スーダンでは大変でした。

南スーダンや私が行ったナイジェリアの北部は一夫多妻制で、14歳くらいで妊娠して生涯で10回とか15回とか妊娠する女性が多いんですよね。それで、若くして妊娠することでの合併症が多かったり、母体死亡率も高くて100人中1人は亡くなるくらいで大変だった。

コートジボワールはそれと比べると医療システムが整っていて、妊婦さんもすごく悪くなる前に来てくれたり、妊婦さんの識字率が高かったりして説明もしやすかったですね。

あとですね、南スーダンの人は献血するというのが怖いみたいで輸血がいつも足りなくて、残り1パックしかないみたいな状況がよくあった。妊婦さんも貧血がありえないくらい悪くて、食事も足りてないし、マラリアとかでの貧血もあって、歩いてくる妊婦さんでもHb2.5の人とかいたんですよ。それでも、緊急じゃなかったら輸血できませんって言われて、私的には早く輸血輸血って感じだったのに、これは緊急じゃないのか、となりながら鉄剤でゆっくりゆっくり治療してました。

 

 

Part2に続きます!