読者の皆様、はじめまして。公立玉名中央病院 綜合診療科の小山 耕太(おやま こうた)と申します。この度、ニュージーランド(NZ)で勤務されている月岡祐介先生に寄稿する機会を頂きましたので、投稿させて頂きます。
私は中学~高校生時代をNZで過ごしており、当時(1994-1997年)のNZでの学校生活や、帰国子女として日本の大学に入学するまでの過程について、子供の視点でお話しさせて頂きます。現在、留学中の方や、留学を検討中の方で、お子さんがおられる方々の参考になれば嬉しいです。
私の生まれは、鹿児島県姶良市(旧姶良郡姶良町)で、学習塾を営んでいた父親、ピアノ教室を営んでいた母親と4歳年下の弟がいます。この父親が私の人生で、かなりの影響力を持つキーマンです。1993年、13歳だった私は、中学受験を経て某私立中学に通うパイロットを夢見る少年でした。月岡先生のような優秀な方はラサールへ、そうでない方が進学するのがその私立中学校でした(笑)。そんなある日、突然父親が「世界一周してくる」と言い出し、地球を東西どちらかの方向へ移動し続ける航空券で約1か月の旅に出ます。そんな父親が帰国してこれまた突然、「NZに引っ越す」と言い出すのです。当時父親は、営んでいた学習塾の生徒の為に、
「英語圏での留学機会を与えたい。」
という希望を持っていた様です。この父親、留学経験は無いのですが、幼少期を山口県岩国市で過ごしており、米軍基地に週末を利用して国内では食べられない、ホットドッグを食べるのを目的に自主的にホームステイ留学(?)をしておりました(多分、合法的に・・・)。そのお陰で、留学経験無くしてソコソコ英会話ができる人物です。突然の引っ越し宣言から数か月後、永住権を取得し、私が中学2年生になる頃には引っ越していました。子供心に、この父親は「普通じゃないな。」と思っていました。
移住した1994年当時、NZ在住の日本人はほとんどなく、街で日本人とすれ違うことはほぼ無い時代でした。もちろん日本人学校は無く、引っ越して早々に地元の学校に通う事になるのですが、その際に某私立中学から頂いた内申書を参考に、日本の中学2年生に相当する3rd Form(現在の学年の呼び方は変わっているかもしれません)に編入するところを、中学3年生に相当する4th Formの学力相当と判断され、いきなり1年飛び級する事になりました。進学校に通っていてラッキーでした。通った学校はLong bay collegeといって、片田舎の牧草地の中にありました。生徒数は5学年(3rd-7th Form)で約1500人ぐらいです。もちろん、英会話なんて全くできない少年でしたので、通い始めて2ヶ月ぐらいは教室の隅っこで誰と話すわけでもなく(私は、自他ともに認める陽気な人間です)過ごしておりました。どこの教室でも、1人ぐらいはボランティア精神旺盛な、世話焼きさんがいるものです。特に、日本に興味を持っている生徒は割といて、知っている片言の日本語で話しかけてくる(もしかしたら、からかっていたのかもしれません・・・)人がいます。この時が友達になる少ないチャンスでした。実際、子供も自分なりに友達を作る為、精一杯の努力と勇気で試行錯誤しています。そして、最終的に分かった事は、教室で話しかけ易いタイプの人は、「昼休みに読書にふける様な人」です。彼らは案外、話しかけられることを嫌がりません(嫌がってないように感じてました・・・)。その内、週末はお互いの家を行き来する仲になり、そこから様々な人と知り合う事になります。よく、英語の勉強はどうやってしたのかを聞かれますが、英語圏に住む日本人の子供に、そもそも英語を勉強する意識はありません。学問ではなく、コミュニケーションのツールですので、体得したというのが実際です。なので、私の様な帰国子女の多くは、日本人に英語を教えるのが、かなりヘタクソです(多分)。例えば、日本語で本数を数える際に1「ポン」2「ホン」3「ボン」4「ホン」と発音が変わる理由を外人から聞かれても、大抵はうまく説明できないのと似ています。なので、子供は海外に移住して、第1外国語を学問として認識していません。生活するために必要なツールなのです。逆に言うと、親心で熱心に英語を勉強する機会を子供の為に作る努力は、あまり必要無いです。それよりも、まずは友人を作る為の作戦をじっくり親子で考えた方が英会話スキルを得る上で効率的です。
編入当初は、はっきり言って困難の連続です。授業も全くついていけません。数学だけ何とかついていける程度です。先生が言っていることが聞き取れないので、宿題が何かも分かりません。宿題が何かを尋ねる言葉も分かりません。挙句の果てに、父親が学年主任の先生に呼び出される始末。
子供として、言葉のハンデを超えてでも現地の人と良い勝負ができる可能性が高いのは、「勉学」です。私は日本人にしてはかなり体格が大きい方(身長181cm、体重90kg)なのですが、現地では普通のサイズです。子供ながらに意地がありました。なんとか親に褒めてもらいたいと子供は考えるものです。編入当初は、試験も数学以外はほぼ0点。恥ずかしくはないのですが、悔しい気持ちに押し潰されそうになります。そんな時、家族が一番慰めてくれましたし、ほどなくしてできた、思いやりがあるボランティア精神が旺盛な(笑)友達が心の支えでした。度々、ラグビー観戦やホームパーティーに誘ってもらい、ストレスを発散していました。そのお陰で、英会話のスキルを体得し、移住1年後には学校生活も問題ないくらいになります。
ここで誤解の無いようにしたいのが、「子供は必ず英会話を体得できる」と多くの親が信じていることについてです。大抵、子供に限らず上記のような困難な状況で、精神的に楽な環境を求めるのは必然です。なので、当時は学校に1割程度のアジア人(韓国人が最多)の留学生がおり、大抵はその母国に応じてコミュニティーを形成しています。そして、NZの高校に通いながら多くの時間を母国語で生活しています。当然、留学生である立場は同じなので、海外の高校生活をする上での困難を共感してくれるので、楽な生活が可能です。残念ながら、そのコミュニティーで多くの時間を過ごす子供達の英会話スキルの上達には、限界があります。実際、数年来留学生活をしている、あるアジア人が話す英語を聴いて、「大丈夫か?」と不安になることは珍しくありません。これが真実です。なので、小山家では父親の指令で、アジア人コミュニティー参加禁止令が出ていました。その分、自宅では常に日本語で生活し、玄関を出た瞬間から英語での生活を強いられていました。その分、日常の家族からのあらゆる支援が子供には重要になります。例外的に、未就学児~小学校低学年までの年齢で移住した子供は、ほっといても英会話スキルは上達します。その要因は、この年代の子供は国籍という概念が無い分、人種別のコミュニティーを作らない傾向にあるからだと思います。ただ、逆に日本語のスキルが疎かになるリスクがあることも事実です。従い、この年代で移住した子供に特有の悩みは、大人になって「日本社会になじめない」という事になります。これはこれで、大変な問題になっており、私の親しい友人(日本人)の子供さんは、最終的にNZに帰化しました。
親の都合で海外に移住した子供は、将来のロールモデルを親に求める傾向が、特に小学校高学年以上で移住した子供には強いと思います。海外に移住して、しばらくは確実に孤独を経験するので、その傾向は必然でしょう。そんな子供を親は全力で支えてあげてください。でも心配は要りません。少しずつで良いので、現地の友達を作る為のアドバイスさえすれば良いです。子供によって、それぞれ性格は違います。友達を作る為の、それぞれの子供の性格に応じた方法を、予め親子で話し合っておくことをお勧めします。
今回、親の都合で海外移住した子供の視点で執筆致しました。次回(もし機会がありましたら)、この様な環境で育った子供が、どのようにして医師になったかをお伝えしたいと思います。
末筆ではございますが、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。そして、この様な寄稿の機会を与えてくださいました、月岡先生に感謝申し上げます。個別での連絡を希望される方は、遠慮なく下記アドレスまでどうぞ。返信に時間を要することがありますので、その際はご了承ください。
kohtaoyama@yahoo.co.jp

公立玉名中央病院 総合診療科部長
1980年5月31日生まれ
2004年4月:医師免許取得
2013年3月:学位(医学博士)取得