読者の皆様、こんにちは。公立玉名中央病院 総合診療科の小山 耕太(おやま こうた)と申します。ニュージーランド(NZ)で思春期を過ごした経緯がきっかけで、月岡祐介先生と知り合い、心臓血管外科医ではない私が寄稿させて頂く機会を頂いております。僭越ながら今回はVol. 3として投稿させて頂きます。
前回、親の都合で海外移住した子供が、NZの高校を飛び級で卒業し、如何にして日本の医学部に入学したかについての経緯を執筆致しました。その続編として、今回はNZで思春期を過ごした少年が、どの様に日本の医学部で一般の医学生と共に修学したか、青年の視点で投稿させて頂きます。
1998年4月、17歳の「Kohta」は「耕太」として、佐賀医科大学(現佐賀大学)に入学しました。中学生~高校生の間に習得したあらゆる知識は英語でした(Vol. 2参照)ので、言うまでもなく困難の連続でした。とにかく、日本語が想像以上に難しいのです。特に漢字。テキストを読んでも、さっぱり頭に入ってきません。腕(わん)神経(しんけい)叢(そう)、類天(るいてん)疱瘡(ぽうそう)、播種性(はしゅせい)血(けっ)管内(かんない)凝固(ぎょうこ)症候群(しょうこうぐん)・・・とにかく、ここは努力です。(-_-;)結果論ですが、私の場合、渡新(NZへの移住)のタイミングが良かったかもしれません。私立中学校に1年間通っていたこともあり、何とか対応できたように思います。
次に難しいのは、「上下関係」です。これについては、今でも特に配慮する様に気を付けていますが、不十分だと自覚しています。日本独特の先輩と後輩の関係性に戸惑いました。また、飛び級入学でしたので、同級生は全員1歳以上年上です。在学中、関わってくれた同級生の中には、私の立ち振る舞いに時には不快な思いをされた方がいらっしゃったと思います。この場を借りて、お詫び申し上げます。
さて、この様な帰国子女が、日本の大学でどの様に順応し、それまでの英語力がいかに役立つか、親としては大変関心があることと思います。まず、英語力が日本の大学生活で役立つ場面は、ほぼありません。意外だとお感じになったと思います。帰国子女が在学中に英語力の恩恵を受けるのは、一般教養で履修する英語や英会話が免除になることでしょうか。あと、同級生の英語の課題を手伝うことで、その日の夕飯をご馳走になれるぐらいです(笑)。でも、心配しないでください。この英語力は、医師になってからその威力を発揮することになります。
何とか日本語の壁を感じながらも、順応していきますが、やはりここで断言できるのは、日本の高校を卒業し、医学部に入学する学生は、本当に優秀であるということです。NZで首席卒業した私でしたが、はっきり言って、全く同級生の彼らの学力には到底敵いません。試験を受けても本試験で受かることは、ほとんどありません。再試験で何とか拾うのが精一杯です。お世辞にも、勉学に励んでいたとは言い難い大学生活を送っていたのは否めませんが・・・(-_-;)。ただ、飛び級していたので、1年留年くらいは許容されるだろうと、安易には思っていませんでした。逆に、将来の飛び級入学の学生の為にも、私が彼らの可能性を潰すわけにはいかないと、変な責任感(プレッシャー)を感じておりました。再試験でのギリギリ単位取得を経て、卒業までこぎつけた私ですが、医師になるための最終関門、医師国家試験が大変でした。多くの医学生は、国家試験受験の前に、勉強会を開き、多くは約1年の時間をかけて受験勉強に励みます。本試験に受かる感覚を、ほぼ持たない私でしたので、勉強会が疎かになっていました。卒業試験を終えたタイミング(国家試験の約3か月前)で、同級生の友人に勉強会に入れて欲しい旨伝えると、返ってきた言葉は
「もう勉強会は終わり、自己学習の時期だよ。」
勉強会、終わってました(-_-;)。かなりのピンチです。しかし、その友人が、自己学習のついでに学習の場(当時の受験生のたまり場)に加えてくれました。私の医師人生の開始は、この友人無しに延期(浪人)を避けることはできませんでした。感謝×∞。
2004年4月、晴れて私は医師になり母校の佐賀医科大学医学部附属病院での研修を開始しました。実は私、研修医になるまで外科医になることを決めていました。なので、学生の時から外科の医局に出入りし、同門会にも参加するほどでした。そんな中、我々の代から2年間の卒後臨床研修の必修化が始まったのです。1年上の先輩までは、卒後そのままいずれかの診療科に入局し、多くが専門医修練への道に進みます。しかし、我々の世代からは、志望する診療科があっても入局は許されず、2年間かけて様々な診療科で研修することが義務付けられたのです。その影響もあり、徐々に私の中で理想とする将来の医師像が変化します。そこには既に、医師として治療や検査のみならず、老若男女問わず市民の生活、介護や福祉まで、時間軸で患者を診る総合診療医を目指す私がいました。進路を大きく転換です。それまで学生の時から既に医局員の様に可愛がってくださった先輩方、当時の教授に事情を説明し、私の意思をご理解くださり、送り出して頂いたことに、心から感謝しています。
ところで、医師を想像したとき、一般の方の多くは、患者さんに対して診療する場面を想像すると思います。しかし、多くの医師は、診療以外の仕事を実は並行して行っています。その一つが「教育」です。医師に限ってではないですが、国家試験を合格した医師は、医学知識を認定されただけであり、医療の技術は全くと言っていいほどありません。なので、彼ら研修医に問診の仕方、身体診察の仕方、血圧の測り方、採血の仕方等、態度面に至るまで、多くのことを一から教える必要があります。私も指導医になると、様々な仕事が降ってきました。診療のみならず、後輩の教育も求められます。そして、私の場合、基礎研究への道も開かれました。熊本大学大学院の微生物学教室で細菌研究にも従事しました。ここでやっと、私の英語力が急激に活かされ始めます。研究室では大抵、海外からの留学生が一緒に研究を行っています。彼らの多くは、自国の国費で留学するエリート達です。第二外国語として英語を話します。彼らもかつてのNZでの私の様に、日本の言語・文化の壁にぶつかり、様々な障壁と葛藤しています。そこに日本人であり、NZ育ちの私は彼らにとってアクセスの良い存在だったと思います。それのみならず、研究に従事すると、論文執筆が必然的に課せられます。もちろん、研究業績は全世界に発信するものなので、英語での執筆が基本です。ここでの英語力がかなり役に立ちました。論文の草稿を英語で書き、校正する過程のストレスが、他の日本人からするとかなり少ないのです。また、国際学会での発表も同様です。英語の原稿を書く必要がありません。表示する発表画面を前に、学問ではなくコミュニケーションのツールとして習得した(Vol. 1参照)この英語力は、本当に役に立ちます。
この英語力は、研究職を終えた現在でも更に活きます。研究職に従事することで、国内外の様々な方々と知り合う機会があります。そのおかげで、現在、私は熊本県玉名市の地域中核病院である公立玉名中央病院に勤務していますが、地域医療教育の面で、国際交流を進めています。既にタイ国の北方にある、チェンライにある大学とは教育協力協定を締結し、お互いの医学生、研修医レベルでの交流が開始しています。この協議の場でも、英語力が重宝しました。他国から見て、日本という小さい島国で、英語でコミュニケーションが取れる場の提供は国際交流の面で必要不可欠です。帰国子女の英語力は、このような国際協議の場において、かなり役に立ち、周囲のスタッフからも感謝されます。
そんな毎日を今振り返り、NZの高校の卒業式で頂いた、校長先生のあのお言葉が思い出されます(Vol. 2参照)。そして、今もなお、その意味は深みを増し続けているように思います。そしていつの日か、あの時の校長先生のように、更に年を重ねた私が、後輩に同じ言葉を贈れる日が来るよう、精進したいと思います。
これまで3回に渡り、親の都合で海外移住した子供が、そこでの生活を経て、帰国子女として医学部に飛び級入学し、医師になり、どの様にNZでの生活が活きていくかをお伝えしました。海外移住や留学についての情報は豊富にある中、無理やり海外での生活を強いられる子供の視点で、情報を共有できればと思い筆を執りました。親心にそのような環境にある我が子への心配は積もる一方だと思います。当然ながら、多くの日本にいる同級生が知ることの無い、暴露されることすらない苦しみと悲しみを子供は経験することになります。そんな時、それらの負の感情を超えるほどの、喜びや達成感を感じることのできる機会を親は与える努力をすると良いのかもしれません。親としては、焦らず、ゆっくりでも確実に前進する覚悟が必要だと思います。子供はその親の姿を見て、期待に応える努力をしています。そして、そこでの経験を大人になって振り返った時、多くの同級生が到底経験することの無い、貴重な環境を提供してくれた、自分の親(貴方)への尊敬と、感謝の念を強める日が必ず来ます。
「ゆっくりだけど、確実に前進してください。」これが私が最も伝えたいメッセージです。
子連れで海外移住/留学を検討中の方々の少しでも参考/後押しになれば嬉しいです。
末筆ではございますが、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。そして、この様な寄稿の機会を与えてくださいました、月岡先生に感謝申し上げます。個別での連絡を希望される方は、遠慮なく下記アドレスまでどうぞ。返信に時間を要することがありますので、その際はご了承ください。これにて、私の連載は終了いたします。 Kia Kaha
PS:コロナウイルス感染が、早期収束しますように。
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