(内科レジデントになるまで 後編より続く)大学病院でのレジデントというアドバンテージを手にいれることは、残念ながらできなかった。決まったことを元に戻すことはできないし、自分の目標のために妻は小さな子供を連れて付いてきてくれている。その悔しさを、大学病院の消化器内科(GI)フェローポジションを何としても手に入れるんだという闘志に変え心を据えた。

 

自分に与えられた環境で、目標を達成するためには何をするべきなのか?

他人になくて自分にはある、自分がアピールできる/すべきことは何なのか?

 

1年目のインターン生活が始まる前から戦略をいろいろ考えレジデント生活を始めた。マッチしたプログラムはいわゆるピッツバーグ大学(UPMC)関連病院のプログラムであったが、本院にとても近く、またローテーションも本院でのelectiveが沢山できる環境にあった。また後になって考えてみるとUPMCという環境に身を置けたことは本当に恵まれていた。当時のGI Division Chief であったDr Wは、自分が日本での研修医時代に見学に訪れて面識があり、マッチした後に早速連絡し自分がGIフェローを目指していることを伝え、インターンが始まった早い段階で面会をしてもらい具体的なアドバイスを頂いた。GI electiveローテーションも面接時期までに3ヶ月したと記憶している。運も味方し、Dr.W(当時のGI Chief)、Dr.S(内視鏡部長兼GI Division Associate Chief), Dr.S(現UPMC GI Chief)、Dr.R(前Program Director、現Cleveland Clinic GI chief)がコンサルトサービスのアテンディングの時に僕がローテーションして、すべての先生から推薦状を書いて頂いた。

 

また臨床研究をしている先生達とも積極的に関わり、レジデント中も消化器関連学会発表と論文執筆も怠らずにした。日中は臨床で縛られ、帰宅後は小さな子供を一人で支えてくれている妻を少しでも手伝えるように、自分の研究のための時間を朝に取るようにし、平日は朝4時に起きて出勤前の時間を研究のための時間に充てていた。

 

レジデントと違いフェローは専門研修なので、フェローシップのマッチでは全て「自分の土俵」で事が進められるだろうという自信があった。アプリケーションを作成する際にDr.Wからは「自分がプログラムに何をどのように貢献できるか?それをより具体的に示しなさい」と言われていた。PERSONAL STATEMENTを書く際も、面接で自分を見てもらう際も、自分を飾ることも偽ることもなく、今までの自分の辿ってきた過程を示し、自分の熱意をありのまま伝えた上で自分を見てもらえれば十分だった。正に「自分の土俵」で全ての物事を進めている感覚だった。

 

もう一つ、自分にとって本当に幸運なことが起こった。

自分がフェローの応募を始める前、1年目のインターン終了の時点で、僕の所属するプログラムが大学病院(UPMC)プログラムに完全に吸収されることになり、大学病院本院のトラックの一つになった。つまり、フェロー応募の時点で、私は大学病院のプログラムのレジデントとして扱われることとなった。