お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。

 

皆様、遅ればせながらあけましておめでとうございます。2021年ですね。2021って素数っぽい雰囲気ありますよね。実はこの投稿は昨年の暮れから書き始めたのですが、当時結局今くらいのお正月気分も抜けちゃった頃に完成するのだろうなと予想して、12月半ばの時点ですでに「遅ればせながらあけましておめでとうございます」って下書きしてたんですよ。どうです?凄くないですか? あ、まあどうでもいんすけど、己をよく分析し己をよく知るというのは何事にも大事だなあと思った次第です。今こんなところで思う必要は全然ないんですけどね。

 

本題に移りますと、今から2年前、北原先生の次にシカゴ大学のフェローに来てくれた西田先生が先月末に卒業となりました。私が指導者として教育に真剣に取り組んだ2人目の卒業生です。北原先生と西田先生は同じような感じと見せかけて実は全然異なる外科医でした。ただ二人とも指導医初心者の私にはとても教えやすい生徒(?)であったと思います。

 

外科医を教育する際に教えるべきことはいろいろありますが、手術は最も大事な項目の一つなのだと思います。「心臓外科手術」は他科の人たちには絶対に代替できない不可侵の領域であり、だからこそ心臓外科医として全精力を注ぐべきものだと思うのです。そして心臓外科医として習得すべきもののうち最も学ぶのが難しく、かつ教えるのも難しい領域なのだと思います。

 

手術に関する私の指導ポリシーはこうです。

手術はskin-to-skinでやっていい、いやむしろskin-to-skinでやるべきだ。その代わり各ステップを微に入り細に入り理解し私のやり方を完全にコピー&ペーストすること。

ゆえにフェロー(正規フェロー含む)には、トレーニング開始時にいつも次のように言っています。

「最初のうちは私のやり方、糸針の種類、道具の使い方などを見て覚えて、各症例が始まる前に手術のシュミレーションを頭の中で行って、初めから終わりまで全部できるって確信ができたなら申し出るように。実際にやってみてできなくてもそれはその時に指導するから構わない。ただシュミレーションを何度もして理論上、完全にできると確信を持ってからやることが大事だ。申し出るのが次の症例でも半年後の症例でも構わない。自分はreadyだと思った時に言ってくれれば手術を全て任せる」

一瞬、めんどくさい奴だなあって思われるかもしれませんが、これって実はすごいオファーだと思いません?医師5−6年目の時に神戸大学で当時の大北教授の手術を暇さえあれば見まくって手術のやり方はおろかオヤジギャグまで把握しきっていた当時の私が聞いたら嬉々としてready!ready!って言いそうなオファーだと思うのです。私がなぜskin-to-skinにこだわるかというと、手術を終わらせることができない者は手術を始めるべきでないと思うからです。

 

日本の師弟関係のような教育法とアメリカの組織化・一般化された教育法は対極に位置するのだと思います。一昔前の日本は見て学べ、皆まで言うな、自分で考えろ等、よく言えば個人の自発性に依存する自己成長を促すのに対して、アメリカはその教育プログラムに乗った人は誰でも一定の期間である程度までの成長を保証するものだと思います。米国のそれは各プログラムで個性は確かにあるのですが、ACGMEなどの包括的にプログラムを監視するシステムがあり、教育内容の均一化、平等性を維持しています。これらは一見素晴らしい教育システムに見えます。特に日本から見た場合、隣の芝は青い理論でさぞかし良いものに見えることでしょう。いや実際良いものなのです。しかし同時に隠れた落とし穴があちこちに散在しているのです。落とし穴に入り込んでしまうと、その本人もしくはプログラムの双方とって、とても質の悪い実りの少ない徒労に終わるという事態にもなり得るのです。

 

米国ではtraineeの権利やトレーニング内容が明文化され保証されています。隣の芝が青く見える主たる理由だと思います。traineeの権利はトレーニングの質を上げてくれますが、同時に権利に溺れると質を下げてしまいます。明文化した決まりがあれば決まりをすり抜けようとする者や決まりを逆手にとって狡猾に利を得ようとする者が出てくるものです。各プログラムはたくさんのtraineeを輩出し、traineeからの評価が高ければ、やがて人気プログラムとなる。結果的にtraineeをお客さん扱いし腫れ物に触るように扱うようになる。trainee本人の将来のためになると思われることであっても、プログラムに傷のつくようなことは避けるようになるのです。逆に、traineeも自分の苦手なことややりたくないことに対し、権利を逆手にとって避けたり止めさせようとしたりしてきます。それはつまり自分のcomfortable zoneに留まり自分の飛べるハードルの高さを自分が傷つかない程度に低く設定してしまい、自分の可能性を消してしまう恐れもある危険な行為だと思います。米国トレーニングプラグラムの内部にいる者としていつも感じていることは、アメリカでも良い教育を享受し劇的に成長している人たちというのは結局なんらかの師弟関係に行き着いているということです。たまに今の自分は全然ダメ、今所属している日本のプログラムも全然ダメ、だけどアメリカに行きさえすれば自分は大成する!という論調のいわば米国崇拝のような人を見かけます。心臓外科においてはアメリカに来れば症例が多く手術できるチャンスも多い。確かにこれは部分的には事実だと思います。だからそこを目指すというのも分かる。でもその地位を勝ち取った後、いかに謙虚に真摯に学べるかというのはどこにいても変わらないと思います。むしろどんな状況であれ今目の前のことを楽しんでやり込んで努力できない人はどこに行ってもダメだと思いますし、米国プログラムに入っても狡猾な指導者に搾取されてしまうか、自分自身の権利に溺れて沈んでしまうような気がします。

 

私の手術指導方法はアメリカ人フェローには不評です。基本的に見て学ぶ能力が備わっていないので、誰もreadyにならないのです。手術をやらせてくれないならお前の手術には入らない、って理論です。今まで「俺はreadyだ」と申し出てきたのは北原先生西田先生を除いて一人だけです(しかも厳密にはアメリカ人ではない)。時にはドクターオータは術中に何もさせてくれずトレーニングの機会を奪われたとACGMEに苦情を入れられて、お偉いさんから「指導」を食らったこともあります。その時は私もチーフに「お前の意見もわかるけど、もう少し上手く立ち回れ(お客さん扱いしろ)」と言われました。しかし、そこはどうしても譲れないところでした。私自身のtraineeとしての経験をもとに心臓外科における手術トレーニングの最適解であると現時点で思っているものを、プログラムの体裁なんてもののために変えるわけにはいかないのです。手術の開始から終了まで全て把握し、様々な事象を予測し対応して手術を完了させるのはとても難しくとても重要です。「お客さん」に対して冠動脈吻合だけを部分的にちょっとさせてあげて「ドクターオータ、吻合させてくれてありがとう!いいトレーニングになったよ!」なんて言われても、全く教育になってないし、そんなことで指導者としての「株」が上がるのなら、そんなものいらない。また、そんなものでいいトレーニングだと認識するような「お客さん」にも指導する気にならない。結果として、私は今シカゴ大学で「最もハードルが高いけれど、skin-to-skinで手術をさせてくれる唯一の心臓外科医」になっています。立派な老害の出来上がりです。それもこれも北原先生と西田先生が証明してくれたおかげです。

 

私の弟子(って言っていいんですかね?)である二人を、なんとか心臓外科医の入り口まで引き上げることはできたかと思います。また自分自身でしっかりと学んで成長できる能力もちゃんと体得できていると思います。あとは独り立ちして自由に頑張ってくれることを祈るだけです。

 

一人目の弟子、北原先生は今では立派なユーチューバーになりました。二人目の弟子、西田先生が何者になるのか楽しみにしています。

 

 

あ、ちなみに西田先生は今後はジュニアアテンディングとしてシカゴ大学に残ることになりました。巣立つと言っても近くにいるのですよね。今後は同僚として切磋琢磨していきたいと思います。

 

あ、それと、2021って素数じゃなかったです。思い込みはいけませんね。己をよく知り己に必要だと信じるもののみを権利を行使して享受し想定通りに成長した己は素晴らしいですよね、きっと。でもそう思い込むには少し早いかもしれませんよ?私も自分で想定した自分が想定通りの時期にこのブログを完成させているのを体験し、もし自分の設定した限界を突破して昨年のうちにこの投稿を完成させていたならば、今この時間に新しく何をできていたかという思いにふけったりしています。自分で見る自分の限界は自分の限界でない場合もあるのだと思うのです。自分でも気づかない未知なる可能性のために老害の無茶振りに耳を傾けるのもいいかもしれませんよ?キーちゃんよろしく限界突破できるかもしれませんよ?

 

ってことで今年もよろしくお願いいたします。

西田先生卒業おめでとう。引き続き頑張ってください。

 

チームWADA 太田