お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。

 

おかん「いやっ!この人老けはったなあ〜」

中学太田「。。。。(またか)」

おかん「見てこの人。昔は若かったんやで、この人」

中学太田「。。。。(そりゃそうやろ)」

おかん「この人、名前なんやっけね?」

中学太田「。。。。(覚えてないんかい)」

おかん「あーほら、歌うたってる歌手の人」

中学太田「。。。。(いや歌手はみんな歌うやろ)」

おかん「いや〜なんかショックやわ〜」

中学太田「。。。。(同じ年月が皆に平等に流れてんだけどね)」

 

たまにテレビで見る芸能人の変化には敏感でも、人は自分自身の変化には大概疎いものです。

 

みなさん1年前は何をしてましたか??そしてこの1年間に何かを成し遂げたり、自身の成長を感じるようなことはありましたか?受験や専門医試験、卒業や結婚、人事異動やチームWADA本発売(無理矢理入れた)だったり。何かのイベントが他動的に人生に入ってくるような場合は、否が応でも何か「人生を進んでる感」が出て、実はそれほど自分が貢献してるわけでもないのに目に見える人生の「業績」として自己認識することが可能だと思います。そしてそれらの「業績」は他者に掲示するのも容易だと思うのです。逆にそれら他動的なイベントがなかったり、それらを除外して自身の成長を考えたとき「。。。自分ってなんもしてねぇな」と途端に「業績なし」になってしまうのですよね。面接の合否、テストの点数などの客観的評価のない領域での成長や変化は自身では非常に感知しづらいものだと思うのです。評価しにくいがゆえに、自己評価では「成長」がないものと思い込んで焦ってしまうのです。自分自身の変化に疎いのはウチのおかんに限らず誰にでも起こりうる現象なのだと思います。

 

私が留学や医師としてのトレーニングについて意見を求められた際「短期・中期・長期の目標をしっかり具体的に持つように」とよくアドバイスしています(偉そうやな)。私の場合、短期目標とは次の数時間もしくはその日1日を非常に細かく区切って目標設定し、達成するたびに自己肯定感をあげていって喜ぶスタイルです。むしろ目標を達成するのが目標ではなく、達成できる目標を多数立てるのが目標となっています。そうすることで達成までの道のりが困難で時間を要する中期・長期目標に立ち向かう時、ともすれば「なんの成長もしていない、一体いつになったら目標地点に到達できるのか。。」と無力感に苛まれる自分に対し「よくやった!」「目標達成したね!」「まだまだ頑張れるぞ!」と細かく勇気づけられるのです。言うなれば私にとって短期目標とは擬似的に達成感を与えることで遠くの目標をめざす苦しみを秘匿する麻薬効果があるのです。

 

おっさんずラジオVol.8を制作・公開するために一度通して録音ファイルを聞いたのですよね。ふと見るとこの音源が録音されたのはちょうど1年前でした。特に編集をするわけではないのですが、通して聞いてみますとやはりたわいもない馬鹿なことをダラダラと喋ってました。そして聞いているうちに、なぜかふとこの1年を振り返ってしまいました。無数の短期目標達成でカムフラージュしていたつもりでしたが、コロナ禍ゆえ誕生日以外特に他動的なイベントがなかった私は自分がこの一年全然成長していないのではないかとちょっと焦ってしまいました。馬鹿な話で盛り上がっている1年前のおっさん二人に、今の自分は「こんなに成長してるぜ!」って具体的に言えなくて困っています。

 

でも多分大丈夫なはずです。自分のことだから自分で成長を感知できていないだけです。ウチのおかんに見る「他者過剰認識・自己無自覚症候群」です。そうです、おっさんずラジオファンクラブの皆様(いない)なら、客観的に私の成長を感知できるはずです。皆様からの見識を賜れますと幸甚です。それではどうぞお聞きください。

 

おっさんずラジオvol.8. 〜3度目の仏〜

 

ふと思ったのですが、私は大野先生を第3者の立場で客観的に判断することが可能ですよね?うむ。大野先生はこの一年で。。。全然成長してないっすね!