お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。

 

2020年にシカゴ大学フェローシップを卒業し、その後、同じくシカゴ大学で心臓外科医として活躍してきた西田先生がこの度日本へ本帰国することになりました。最初の2年間は指導者として、後の1年間は同僚として彼の成長と活躍を見てきました。今回、活躍の場を日本の医療現場に移す決断をした西田先生の節目にあたり、私の所感を述べたいと思います。

 

米国のトレーニングシステムの大きな特徴として、トレーニングに「卒業」があることだと思います。一部の例外を除いて一般的にトレーニングプログラムに在籍中は就業時間の適正化、決められた症例数の確保、法的免責など手厚い庇護下にトレーニングを受けることができます。しかし卒業後独立しアテンディングとなってからは患者管理の全てにおいて最終的な責任を負う立場となります。卒業した翌日から治療方針に関して責任を伴う強い決定権を持つことになり、フェロー中には考えもしなかった細かなことから、患者さんの生死を分ける決断まで、様々な方針決定を迫らせることになります。重大な決定権及び責任を持つがゆえ、周囲のコメディカルの対応もガラリと変わります。またそれまで細かく目をかけてくれていた指導医ですら、卒業と同時に良い意味でも悪い意味でも何も言ってくれなくなります。それは独立した医師として敬意を払っていると同時に、もう一人でやって行かなければならないと知らしめる新たな「指導法」でもあるのだと思います。

 

私が西田先生の指導医となった当初は、微に入り細を穿つがごとく細かく指示・指導し、治療方針や手術法に関しては必ず私の方針通りに進めるという基本ルールを徹底しました。それにより、私のいない場面でも「私の治療法」を遂行してくれるという確信のもと安心して西田先生に任せることができました。また、西田先生の立場からは私がいないことによりその場を仕切る必要があるため独立のためのトレーニングが積めるという利点もあったことでしょう。もちろんトラブルが起こったり、私の方針では問題がある・起こり得ると思われる場面では必ず連絡・相談してくれていました。簡単なように見えて実は簡単でないこれらのことを淡々とこなしグングン成長した西田先生は、シカゴ大学心臓外科ファカルティ満場一致の推薦をもって当科のアテンディングのポジションを獲得することになりました。

 

西田先生が独立後のここ1年は、自身の弟子が同僚となって一緒に働くという初めての経験でした。時には肩を並べて同僚として切磋琢磨し、そして時には「先輩」としてアドバイスをしたり、逆に私からアドバイスを求めたり、共に学び成長し、とても刺激的な1年であったと思います。

 

独立前後を問わず心臓外科医は常に自身のスキル(特に手術技術)を磨くことに集中し、皆ストイックに自分を追い込んで取り組んでいることと思います。「手術の成否は外科医の手に委ねられる」というのはある意味事実かもしれません。術者の確かな技量なくしては手術の成功はありえませんので、確かに不可欠言えるでしょう。しかし大切なのは手術はチーム医療で成り立つものだということです。周囲の手術助手、看護師、麻酔科医、臨床工学士などの専門家の協力を得て初めて威力を発揮するものであり、決して術者一人で手術が成り立つことはないのです。独立後に手術症例を重ね自信が増してくるにつれ、自分は「誰よりも手術が速くて上手い」と無双感に浸り、己のみで世が周り、手術が成り立っているのだと勘違いしてしまうことは、程度の差こそあれ心臓外科医の成長の過程で、誰しもが通る道です。これを拗らせると他の外科医を見下し「攻撃」するようになり、また周囲のチームメイトの協力の存在を忘れたり卑下に扱い徐々にチームワークは崩壊し、自身は裸の王様状態となり全てが足元から崩れてしまうこともあり得ます。優れた手術スキルを持っているにも関わらず周囲との関係が上手く築けず失職したりする外科医を何人か見てきまし、もうすぐ崩れそうな「王様」も世に散見されるように思います。自省の念を込めて書くと、自分自身を常に厳しく律し、驕ることなく謙虚にして、周囲への尊敬の念・気配りを忘れず、そして何より患者さんのために全力を尽くす。それが外科医のあるべき姿だと思うのです。

 

「独立後の西田先生はどうでしたか?」

 

当科の職場内の人間関係は割とあっさりしていて、誰かが転職などでいなくなるからといって送別会が開かれるということは少ないのですが、西田先生の帰国にあたっては、コロナ禍のため盛大とは言えないものの、オフィスに中華料理を注文して昼食会なるものが自然発生的に行われました。皆がゾロゾロと集まり西田先生の新たな旅路を惜しみつつも祝福しているのを見ると、西田先生の人望が厚く限られた時間の中ですでに「チーム西田」が確立していることが伺えました。

 

写真:現在のフェロー根本先生と執刀する西田先生(左)

 

今後に関しては、西田先生の卓越した臨床能力・外科的スキルをさらに自己研磨して成長していくであろうことは全く心配していませんが、良い人たちに出会い、良いチームを作っていってくれることを願ってやみません。

 

西田先生、シカゴ大学に来てくれてありがとうございました。引き続き頑張ってください。応援しています。

 

シカゴ大学 太田

 

 

 

業務連絡;西田先生、こんだけ褒めちゃったので、日本でちゃんとやってくださいね。失敗したら自分のせい、成功したら私のおかげ。っていつも通りの手はずでよろしくお願いします。

 

追記: 送別の品として西田人形作りました。特注の品が届いた当初は「全然似てねーな、どこのサラリーマンやねん!」と思ったのですが、西田先生と並べて見てみると、なんやわりと似とるやないかい!ってなりました。動画にてご確認ください。

 

 

あ、副題の件ですけど、西田先生と旧知の仲である某先生がシカゴ大学に見学に来てくれた時に教えてくれた情報なんですけど、「西田は、仲良くなるとオレンジ色の海パンを履いて踊りだしますよ」ってことだったんです。過去3−4年の間、なんとかオレンジ海パン踊りを見たくて西田先生との距離を詰めようと頑張ってきましたが、残念ながら今のところまだ達成されておりません。to-do-listに載ったままです。いつか必ず西田先生のオレンジ海パン踊りを拝めるまで頑張ります!