お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。
「鏡よ鏡、世界で一番。。。。」
皆さん、今日もスマホをポチポチして「順調」に時間を溶かしてますか?従来より人生において何か一つのことに没頭できることを見つけることは大変困難なことであると認識されることが多いと思います。自分のやりたいことや、あるべき姿を探すため「自分探しの旅」に出ちゃったりする人もたくさんいるようです。時間を忘れ自身の全てを何か一つのことに打ち込み幸福を感じたいと願い、それを追い求めて人生を彷徨うのが人類の凡庸な姿かと思います。スマホの普及はそんな人類の「悩み」を一気に解決したのではないでしょうか。何かを探して旅までしちゃった人はもとより、それまですでに何か他のことに没頭していた人まで引き込んで、みんなスマホの沼に嵌り完全に没頭しています。暇さえあればスマホぽちぽち、暇がなくてもスマホぽちぽち、夜中にむくっと起きてスマホぽちぽち、トイレでも映画館でもキャンプ場でも重要会議中でもスマホ中でもとにかくいつでもどこでもスマホぽちぽち。「没頭できるのもがない」という人類の長年の悩みを解決し、迷える人々を救っちゃってスマホ先輩すげーっすね。と思いきやそうでもないのですよね。スマホを「人生で没頭できるもの」として認識している人はほぼいないのです。あんなに「没頭」してるのに。人間っておもしろいですね。
つまり私がスマホについて言いたかったことは「たまに暗転したスマホの画面に突如自分の顔が映ってその醜さに驚くことってありますよね。」ってことです(前置き全然カンケーねーな)。
何がって自分自身の想定を遥かに超えたキモい人がなんかこっちをじっと見てくるんですよね(え?私だけですか?)。キモい人と無言で見つめあってギョッとしつつも目が離せない刹那モーメントはマジでキモポイント高めです。まさに「こっち見んな!」状態。スマホに映る自身の鏡面像は、自分が想定していた自分とはだいぶ違うものの、おそらく他人から見た自分とほぼ同じ像であるのでしょう。声の場合はどうでしょうか?自分の声を録音して聴くと自分の声じゃないように聞こえる現象は有名ですよね。自分の声は他人には空気伝導のみで伝わるのに対し、自身には骨伝導と空気伝導の2つの音波が伝わるためと言われています。録音した自分の声を聞くという行為は、自分が発声して空気伝導で伝わった音を電気信号として録音し、それをスピーカーを通して空気伝導で聞くということになります。ゆえに録音した自分の声の”スピーカー音”は、自分で発した声をリアルタイムで自分で聞く骨伝導+空気伝導の”自己音”とは実際に異なる音声なのです。しかし、本人はこれらを「同じ声」であるはずだと認識しないといけないため混乱が生じ、結果的に「録音した自分の声は変な声」として脳が処理するのです。
例えばものまねタレントさんが自身の声を誰かに似せて発声する時、自身がリアルタイム聞く”自己音”(骨伝導+空気伝導)と他者が聞く”他者音”(空気伝導)とにはギャップがあり、自分がいくら似てると思っても空気伝導のみで聞く他者からすればそれほど似てないという現象もよく起こることだと思うのです。おそらく優秀なものまねタレントさんは、自己音(骨伝導+空気伝導)と他者音(空気伝導)のギャップを認識し、自分が何度も聞いて他者音として覚えたものまねの声を聞こえたまま発声するのではなく、他者が聞いたときに本物に近い「他者音」になるように自己音と他者音のギャップを認識し調節して発声し、他者が聞く用の「そっくりなものまね」を生み出すのです。モノマネは他者の声や仕草をコピーアンドペーストするものですが、そのために他者を観察するばかりでなく、自身をしっかりと観察し、自己音、スピーカー音、他者音の違いをしっかり区別認識し完コピを目指すのがこの職の真髄なのだろうと思うのです。(知らんけど)
手術は見て学べ。
老害の代名詞のようなセリフです。しかし、私はこれこそ手術トレーニングの真髄であり、外科医にとって最も重要な自ら成長できる能力の礎になるものだと思っています。自己成長における初期段階は「人の振り見て我が振り直せ」です。端的に言うと他人の手術を見て良いところを真似し、悪いところを見て他山の石とすることです。初心者の段階ではまず手術が上手な人をコピペするところから始まります。そしてその先に自らを見て自ら学び成長する段階がやってきます。最も難しい段階であると思います。自ら成長する能力を獲得する上で欠かせないものは正確な自己評価能力であり、そしてその「正確な」のところが最も難しい所以なのです。トレイニーの間は、指導医の手術をコピペすることに専念することが多いかと思います。経験上全ての人ができるとは限らないのですが、トレーニングとしては初期段階で割と簡単です。人のやることと同じことをするだけですから。独立した後はどうでしょうか?もう真似るべき相手は目の前にはいません。トレーニング期間であれば不完全なコピペを注意してくれたであろう指導医はもうおらず自分しかいないのです。おそらく今まで習ってきたことをストックしたフォルダーから自ら抽出し施行するところから始まるでしょう。偏差値51の外科医としてやっていくだけならそのままでもいいと思います。しかし、もっと高みをめざし自己成長を続けるにはどうしたらいいでしょうか? トレーニング時代によくやっていたこと、つまり他者の手術手技を見て学ぶことはできるでしょう。そこで大切なのが正確な自己評価です。まず自分を分析し自分に何が足りないのか、何を改善すべきなのか知らなくては他者の手術を見ても効果半減です。また新しく見て学んだことを自分の手術に反映させる時、ちゃんとそれを反映・導入できているかは自身では分かりにくいのです。なぜならそこには”他者音”と”自己音”のギャップがあるからです。他者の手技を完コピしたつもりでも自ら行う手技には必ず”自己音”としてしか自らが感知できないので、本当に完コピできているかわからないのです。指導医がいるうちはその”自己音”を反対の立場から”他者音”として感知できる指導医が監視・助言してくれるため他者音と自己音のギャップに気づけるのですが、己一人になるとその評価が格段に難しくなります。解決の手法の一つとして、自らの手術手技を動画に撮り自らの手技を他者として観察することができ、それは有用な方法であるとされるのですが、動画を通して見るそれは”スピーカー音”であるということをよく認識し活用することが重要となります。他者音と自己音のギャップを知り、自己音・スピーカー音を聴きながら正しい他者音に近づくように調節する。自分の手術を「見て」自ら学ぶことが最も難しい所以がここにあります。
私はここ数年は後進の指導に従事することが多いのですが、最も重要視しているのが、「自身で学習し自ら成長する能力」をつけさせることです。米国の外科トレーニングプログラムは、無理のない労働環境、保障された症例件数と手術執刀数など「素晴らしい」教育プログラムであると評されることも多いかと思います。しかしこれは諸刃の刃でもあり、学校の授業のようにそこにいるだけで指導医がレクチャーをしてくれて、症例を与えてくれて、手取り足取り手術を指導しやらせてもらえます。私が上記で「初期段階」とするコピペ能力すら必要とされない不思議な世界です。「充実した」指導と経験を得たトレイニーは卒業する頃には例外はあるにせよそれなりの実力を備えた外科医として独り立ちしていきます。アメリカのトレーニングプログラムは偏差値45−55くらいの外科医を量産するプログラムです。しかし、受動的にしか学んでこなかった彼らには自ら学び自ら成長する能力の欠如した人が数多くみられます。米国では独り立ちした後は誰も一切指導してくれません。成長したければ自ら学習し成長する以外ないのです。卒後何も成長できない偏差値40−50のあたりをうろつく医師の運命は悲惨です。これは世に溢れる米国留学の体験記等でも決して語られることのない米国医療の闇だと思います。私は指導医としてフェロー(弟子)を取り始めて現在の月岡先生で4代目になります。外科医としての基本中の基本であるコピペ能力のある人のみを採用してきました。指導医としての未熟さを露呈してしまいますが、残念ならが今のところ「コピペ能力の概念」がない人を指導する術が全くないためです。手術は単純に成功か失敗かの2択ではなく、制限時間のある一回の手術内で無数の「完璧な手技」を積み上げていく作業であり、その結果として成功へと辿り着くものです。ゆえにその無数の「成功以外選択肢のない」個々の手技について手取り足取り教えて、各々で成功・失敗を繰り返して教えていくというスタイルは基本的に不可能であり、「成功する手技」をコピペできない人にはそれらが多数連続する手術というものを教えることなどできないのです。歴代のフェローの先生方のコピペ能力は非常に高く、基本的に1−2回やって見せると後は完コピしてしまうため、ここ数年私はほとんど自分で執刀することは少なく第一助手の位置から指導的に手術をしています。フェローの立場からしてみれば、独立前であるにもかかわらず独立後とほぼ同じ状況でオペレーターとして手術できるため良いトレーニングとなることでしょう。確かにそれは表面的には私が提供できる重要なトレーニングということになるですが、私は彼らがその先に到達できる未来を見ています。つまり、自ら自分の手術を俯瞰的に評価して、自ら改善成長する能力を会得してもらいたいのです。オペレーターとして手術に対峙し自ら考え改善しようとする姿勢が彼らにはみられます。しかし、前述の通りそれらは”自己音”を感知してるに過ぎないのです。私の役目はそれを観察している他者として彼らの手術の”他者音”を彼らに伝える、時にはその昔に同様の自己音を察知した経験者として”他者音”を”自己音”に変換して彼らに伝え、彼らがギャップの存在を知り修正していく能力を体得してくれるのを願っているのです。
そんなこんなでラジオです。今回は、社員の皆さんの”熱い”視線(他者音)を誤想し、高慢な自己音を奏でて闊歩したのち、真実を映す鏡に映し出された「虚像」に打ちひしがれた偏差値45のおっさんの悲しき物語です。それではおっさんずラジオvol.18「鏡像の虚像」で無駄時間の極みをお楽しみください。
鏡に映る自分の姿は虚像か?あるいは真実か?
私思うんです。多分あれは虚像ですよ。なぜって全然違うんですから。まず何と言っても左右反転してますし、触っても平面の2Dですし。それにそもそも自分の顔があんなに気持ち悪いわけないじゃないですか。特にスマホ暗転時に映るやつ。あんなキモい顔あるわけないですよ、この世の中に。
ザ・現実逃避
皆さんは正しく自己評価できてますか? 鏡の中にいるあなたはホントにあなたですか?
ご自身で鏡に向かって聞いてみればわかると思いますよ
「鏡よ鏡、世界で一番。。。。」
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