お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。
幼稚園には実家マンションの前から通園バスで通っていた。マンションの前の坂を下り、信号手前の歩道の縁石上にみんなで並んでバスを待つのだ。年少組と年長組に分かれて2列で並ぶ。早いもの順で列を作り、バスには年長組の先頭の人から順にバスの前方座席へ乗車誘導される。つまり年長組の一番前に並ぶと、バスの運転席の真後ろの特等席を獲得できるというシステムだ。年少組の時は、いつもバスの後方からその特等席に座る人を憧れの眼差しで見ていた。そして、私も年長組になればあそこに座れるのだと理解し、初めて社会のヒエラルキーの存在を学んだのだ。しかし、年長組になったとて世の中は思い通りにはならないものである。年長組の列の先頭争いは熾烈を極めた。厳密には「熾烈な争い」というには若干の誤りがある。一強時代とでも言うのだろうか、山田くんだ。世の中にはいつの時代も必ずとんでもない強者がいるものなのだ。それに気づいたのも、この「熾烈な争い」がきっかけだ。朝どんなに早く行っても山田くんは必ず一番で列に並んでいた。当時私はもちろん幼稚園児であるため限界があったが、できるだけ頑張って早起きして出向いても、必ず山田くんが先にいたのである。半年くらいずっと最強山田くんに敗れ続けたある日、私は意を決してオカンに頼んでみた。バスの集合時間は朝8時だが、朝6時に行きたいとお願いしたのである。最初は難色を示していたオカンも、なんとなく事情を察していたのであろう最終的には了解してくれた。忘れもしないとある月曜日だ。朝6時に起こしてもらい登園準備をして私は家を出た。深深と冷える朝の坂道を意気揚々と下った。1番だ!誰もいない!最強山田くんに勝ったのだ。縁石の一番端に立って一人勝利宣言をする。長い戦いだった。5歳にして人生の頂上に立った感すらある。それからは特にすることもないので1番のポジションに佇んで、たまに通る車を眺めたりしていた。とても寂しく感じた。妙に静かで空気が動かないものだななどとぼんやり考えていると、しばらくして山田くんがお父さんに連れられてやってきた。お父さんは山田くんを残してすぐに仕事に向かったようだった。父親の出勤時間に合わせて連れられてくるのでいつも早かったのだなと理解した。山田くんは私の姿を見て若干驚いていたが、水を得た魚のように活き活きとしゃべり始めた。山田くんは1番の席を私に「奪われた」ことにはあまり興味はないようで、楽しそうにしゃべっていた。毎朝独りでこの空気が動かない空間で一人寂しかったのだなと妙に納得して、山田くんがしゃべるのを傍観していた。まあそれはいい。朝早く起きた甲斐があって、いろいろな新しい知見を得た、それはこの際いいのだ。特等席の話だ。8時になるとバスがやってきた。先頭は今日の主役である私、2番手に山田くん、その後ろには「下々の者」が続いて並んでいる。年少組の衆が騒いでいるのも今日はいつもよりかわいく見える。バスがいつもの位置に停車する。その刹那、信じられない言葉を耳にしたのである。
先生「今日から年少組さんが先にバスに乗ります」
私(な!!!なんでやねん!!)
これが私の記憶にある最も古い「なんでやねん!」である。どうやらその年度から半年おきにバスに乗る順番を年長と年少組で入れ替えることになったらしいのであるが、当時5歳の私にすれば「マジで知らんけど」である。私は極力平静を装ってすましてはいたが、かなり動揺していただろうと思う。しかも、バスの前方部分に乗る年少組の一番後ろの席が空いていたので、下手に年長組先頭である私が、そこに座らされ年少組の中にただ独り年長組のお兄ちゃんとして座る羽目になったのは忘れたくても忘れられない苦い記憶となっている。こうして一度も特等席に座れないまま半年に渡る私の「熾烈な争い」は幕を閉じたのである。その日の「戦い」で分かったことは、山田くんにとっては先頭争いは「争い」ですらなくただの日常であったのだ。その日も山田くんはバスの後方部分の「年長組最前列」に座って楽しそうにおしゃべりしていた。なぜ最強山田くんは意図せずいつも先頭だったのか、争いですらない争いでチキチキ騒いで「争っている」私はなぜいつも先頭を取れなかったのか。そんなことを考えている。何十年も経った今でもなぜか鮮明に残っているこの古い記憶は、この歳になってその意味を考えるために記憶されていたのだろうと思ったりしている。意味なんてシランケド。何度考えても今だに「なんでやねん!」である。
今まで何度か言及しているが、私は手術技術を伝授し後進を育てるというタスクを担う際、一子相伝型で弟子を厳密に選び、手術室で直接指導する形態を採用している。さまざまな理由があるが、一番の理由は患者さんの安全を確定させた上で、効率よく指導し、定めた目標を達成するにはこれ以外の方法は私には無理だと思うからである。弟子としてシカゴ大学のフェローを採用する時には、トレーニングレベル、人柄、タイミング、他の同僚指導医の意見など様々な要素が絡むため統一した採用基準のようなものは存在しないのだが、一貫して必要最低限の条件は”Teachable(指導可能)”であるということである。「教えたことを実行できる」という最も単純で最も難しいタスクをこなす能力がないと教えることができないという比較的わかりやすい基準だ。いろいろと御託を並べているが言ってしまえば実際には直感で選んでいるというのが事実だ。今までのところその都度個性あふれる「優秀な」弟子たちを迎えることができている。手術のトレーニングという大きな議題に対する私個人の捉え方は、その進捗状況に応じていくつかのフェーズに分かれていると思っている。初期フェーズは自分自身の技術の向上である。自身のトレーニングのみに集中し、自分のこと以外には一切の興味がなく自分のためだけにあらゆる学習機会を網羅していった。次のフェーズは後進の指導だ。技術の伝達のため自分の弟子のみに指導を集中させ弟子の技術向上を図る。一見このフェーズでは私自身のトレーニング・技術向上がおろそかになっているのではないかと思われるかもしれないが、実際には後進の指導は、私自身が想像し得なかった技術の再考察・洗練する機会となり、結果的にはさらなる技術の躍進に繋がっているのだ。そしてこのフェーズこそ自己トレーニング最終段階であり、その継続により私自身及び弟子を含め向上を続けていくものなのだろうと漠然と思っていた。しかし、最近少し違ったことを考えている。シカゴ大学のフェローに応募してくれたもののご縁がなく弟子にならなかった人たちのことを考えているのだ。最近の私は、元々相当な実力を持ち、且つ「教えやすい」という特性を持つ外科医を弟子として採用し、私自身の箱庭で指導することで自身も成長し、紆余曲折はあるもののその成果に一定の満足を得ていた。シカゴ大学の門を叩いたが縁がなかった外科医の人たち、烏滸がましく言えば、私が「門前払い」した人達は、その時何を思い、その後どんなトレーニング人生を歩んでいるのかと漠然と思いを馳せているのである。考えてみれば、私は指導に本気を出し始めたフェーズにおいて、私自身のことしか考えていなかった自分が、弟子のことを考えるようになったかのようなことを前述したが、実際はやはり自分のこと・自分の箱庭のことにしか視点が向いていなかったのではないかと思い始めたのだ。手術指導において主人公はトレイニー(弟子)である。トレイニーが何を見て何を学び何を習得し、どのような外科医になっていくかの「結果」が全てである。その際、指導医は脇役としてサポートするだけである。トレイニーが「最高の環境」で学べればそれで良いのだろうし、その過程において指導医の自我など必要ないのではないかと思ってしまうのだ。私自身が何を思っているかは私自身で容易く把握することができる。トレイニーが何を思っているか・何を必要としているか、それが分からないのである。なぜなら彼らは私自身ではないからである。
話の途中なのですが、とりあえずここでラジオを聴いてほしいのです。今回のラジオは、前回門前払いを食らった高級珈琲店へリベンジするおっさんの話です。それではおっさんずラジオvol.28「たくあん」で無駄時間の極みをお楽しみください。
よくよく考えるとおっさんずラジオも今回で28回目なんですね。ここまで長く無駄時間にお付き合いいただいて本当にありがとうございます。コアな修行民の皆様ならすでにお気づきかと思いますが、最近の私のブログでは、一見なんの関わりもないような2つの話題を取り上げて、実はその二つには共通した概念や捉え方があるというのがある種のパターンであると思います。今回でいえば幼稚園の話とトレーニングの話がそれにあたります。2つの話の関係性お分かりになりましたか?実はこの2つ、、、なんの関連性もないんです。実は今回は前置きの「幼稚園の話」から書き始めたのですが、書き始めた直後「そういえば別にこんな話もあったなあ」と思い筆を走らせると上記のバスの話が出来上がってしまったのです。言うなればこれは前置きの前置きになるわけですが、あまりにも長くなってしまったので、今さら続けて本来の前置きを書くのを躊躇したということなのです。前々置きの幼稚園のバスの話と本編のトレーニングの話、互いに関係のない長文が2つ並ぶ、しかも本編の方は完結していないというのが現状です。地獄絵図です。それでもそのままこのエピローグを書き終えて無事28回目のブログも完了としたかったのですが、関連のない2つをまとめてうまく締めることができないと判断いたしまして、今更ではございますが、本来の前置きを書いてみたいと思います。
幼稚園には実家マンションの前から通園バスで通っていた。マンションの前の坂を下り、信号手前の歩道の縁石横につける形でバスは停まる。我々園児を乗せた帰りのバスが停車してドアが開くと、レーススタートの合図だ。ゴールはマンションのA棟エレベーターホールの階段横にある「掃除のおじちゃん」の部屋である。その部屋は階段下のスペースを利用して作られており、ちびっこが大好きな秘密の基地感が満載なのである。掃除のおじちゃんはとても温厚でいつもニコニコ我々園児の相手をしてくれていた。幼稚園の帰りのバスが到着する時刻にいつもお昼の手作り弁当を食べているおじちゃんのところまで皆で駆けて行きワイワイとおじちゃんを囲んでしばしの時を過ごすのである。今思えば迷惑をかけていたとは思うのだが、皆でおじちゃんのお弁当を少しずつ分けてもらって食べるのは遠足感もありとても美味しくて楽しかった記憶だ。とりわけ私はたくあんの下の黄色く染まったご飯が大好きだった。いつもその部分を分けてもらって食べていた。バスの時間が少し遅れておじちゃんがお弁当を食べ終えそうな状態になっていても私のために黄色いご飯を取っておいてくれていた。そんなある日、いろいろな事情が重なって、私はレースの先頭をぶっちぎりで走っていた。そして、一番におじちゃんの部屋にゴールした。そしてなぜかふとドアの鍵を内から閉めたのだ。今日はおじちゃんもお弁当も独り占めだ。私の中の「悪い方の私」が少しほくそ笑んだ。しばらくすると友達2−3人が部屋の前にたどり着いた。いつもは開いているドアが閉まっているので、困惑している。おじちゃんが鍵を開けようとする。悪い方の私がそれを制止する。
友「開けて!ねぇ開けて!(ガンガン)」
おじ「開けてあげないと可哀想だよ?」
悪「いいのいいの」
しばらくすると友達は諦めて帰って行った。何も言わない温厚なおじちゃん。私はその頃になると悪い私と善い私が融合し、なんとも言えない感情で黄色いご飯を黙々と食べていた。いつもより美味しくなかったことだけは覚えている。
最近誰かに言われた「幸せはわかちあうもの」という言葉が頭を支配している。言葉の意味はもちろんわかる。でも解釈がわからなくてずっと考えているのだ。そんな折、このたくあんの下の黄色いご飯のことをふと思い出したのだ。私の独占欲がもたらしたものは何か。いや、私が独占欲によって失ったものはなんだったのか。そんなことを考えている。そして、この歳になってやっと違う視点があることに気づいた。正確には別の視点があることは知っていて、ただ目を向けたことがなかったのだ。悪い方の私が門前払いした友達の視点だ。締め出しを食らった時には嫌な思いをしたであろう。それは誰でもわかる。でも彼らの人生はその後も続いているのだ。彼らの人生の主人公は彼らである。私がドアの中で何を思ったか、その後こうやって何かを考えて生きていることなど彼らになんの関係もないのである。残念ながら私がいくら彼らのことを思考しようとしても、私が私である限り私視点からは逃れられないのだ。「彼らの視点」を知ることができない私が、門前払いした彼らのことを理解できることなどあるのだろうか。
シカゴ大学フェローの募集の際、ご縁がなく「ドアの中」に入って来れなかった人たちに思いを馳せていると上述した。そして同じドアの中にいる弟子ですら、弟子を主人公とする視点で私がものを考えたりすることが難しい・不可能であるとも書いた。今まで外に目を向けているつもりでも結局はドアの中の自分のことしか考えて来なかったのではないか。そしてドアの外に何か重要なことがあるような気がしてきたのである。きっかけは高級珈琲店である。今回のラジオを聞いてくれた人ならわかると思うが、ことの本末は、最初から門前払いでもなんでもなかったのであるが。とにかく今回私は「門前払い」を食らった珈琲屋にリベンジに行ったのである。その過程にはさまざまなドラマがありたくさんの経験を経て今に至る。最初に門前払いを食らった私がその後の人生を経て、今回ある意味「リベンジ」を果たしたのである。一連の主人公「私」の人生は、たくさんの経験と新しい知見を私自身に与えてくれた。門前払いのあの日の私とは違う一段階も二段階も成長した私である。ドアに鍵をかけ黄色いご飯を食べているだけでは得られなかったもの、ドアの外に閉め出されたからこそ得られた成長である。私が外科医として弟子を取り、弟子と共に一生懸命研鑽を重ねている「ドアの中」には、今までの私の外科医人生の集大成が毎日更新されて積み上がっている。しかし、その美味しい黄色いご飯を食べているだけでは辿り着けない「ドアの外」に目を向け始めている。「幸せはわかちあうもの」の解釈は未だにわからない。でもドアの外を主人公「私」が旅して次のフェーズに移れた時、それが何かわかるのではないかと思ったりしている。
私の中の思考の渦。考えれば考えるほど意味がわからない。ただ明確なこともあったりする。古い古い欲望の記憶:バスの特等席に座りたかった。それだけは揺るがず分かっている。
長い前置きはさておき今回の主目的である宣伝をさせてください。10月25日(土)12時からチームWADAおっさんずラジオライブ2025を東京で開催することになりました!
私の思考のカケラを体感したい人、そんな変態嗜好がウナギノボリな方がいらっしゃいましたら、ぜひライブにお越しください。特等席を用意してお待ちしております。
日時:10月25日 12:00-14:30(予定)
場所:KADOKAWA富士見ビル(飯田橋)
チケット販売開始予定日:8月31日カドスト専用サイトにて
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