お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。

 

 

私はこんなにあなたのことを想っているのにどうしてあなたは。。。

 

 

小学生時代のある時、地域の自治会でクリスマス会なるイベントが催された。初めてのイベントで、「クリスマス」という響きも相まってワクワクしていたのを覚えている。メインイベントは皆で持ち寄ったクリスマスプレゼントの交換会である。一人一つプレゼントを用意して持ってくるようにとのことだった。私は家中から材料を集めてプレゼントを作り始めた。ソリに乗ったサンタクロースを厚紙で切り貼りし、赤や白やの絵の具を使ってイイ感じの「ガラクタサンタ」が出来上がった。白い布でサンタ袋を作り、その中に飴ちゃんを2−3個入れて完成。我ながら傑作であった。一人でコツコツととても楽しく制作したのを覚えている。気分はウキウキで最高傑作のガラクタサンタを大事に枕元に置いて寝て、翌日のクリスマス会に備えた。クリスマス会当日、20−30人集まって楽しい会がスタートした。そしてメインイベントのプレゼント交換会の時がやってきた。皆それぞれ持ち寄ったプレゼントをカバンから出して準備する。全員で一つの輪になって座り、音楽がなっている間、手に持ったプレゼントを右隣りの人に順次渡して、新たに左隣りの人からプレゼントを受け取る。音楽が止まった時点で手に持っているプレゼントを自分がもらえるという寸法だ。音楽がなり始めプレゼントを右へ、左から受け取る、また右へ、受け取ってさらに右へ。少し違和感があった。他の人のどのプレゼントを見ても「買ってきたもの」なのである。ビックリマンチョコ5枚、キン肉マンの消しゴム(通称キン消し)、ヨーヨーとけん玉、編み物セット。え?!もしかして私、やっちまった?私の最高傑作「ガラクタサンタ(厚紙製)」は完全に浮いていた。みんな自分が欲しいプレゼントが自分にまわってきて、そこで音楽が止まって欲しいとソワソワして、お目当てのプレゼントを目で追っている。男子の一番人気はガンプラ「ジム」である。私はというとそんな余裕はなく、なんとも言えない苦しい気持ちで自分のガラクタサンタを目で追っていた。みんな私の「最高傑作」を見て、なんだこれ?ハズレだなって顔をしている。ますます私は苦しくなった。そして音楽が止まった。みんなの歓喜・落胆の声が交差する。私の手元に何がきたのか全く覚えていない。私はただ私の最高傑作を凝視していた。それは上条さん(仮)の手元にあった。上条さんはあからさまに嫌な顔をしていた。みんな、自分のプレゼントが誰のところにいったか探して、「それは俺の選んだプレゼントだぞ」「わたしが買ってきたやつ〜」「わーありがとう」ってキャキャしている。もちろん私はそんなことはできず一人固まっていた。上条さんの視線がこちらにくる予感がして、さっと視線を下げた。そのあとは保護者の人たちが用意した手作りケーキを食べたりしたと思うが、記憶が欠落している。ただ一つ覚えているのは、やがて会が終わって解散となった時、会場の大きなゴミ箱にふと目をやると私の最高傑作ガラクタサンタ(厚紙製)が捨ててあった。特に感情は動かなかったが、あ〜サンタ袋の飴ちゃんすら取り出さないんだなとぼんやり思っていた。

 

 

米国の手術室にはPhysician Assistant (PA) という手術の助手を専門に行う職業がある。PAの国家資格が存在し、専門の養成学校もあり、完全に独立した職業として長い歴史があり、その地位を確立している。彼らの術中の仕事は手術のアシストである。ベテランのPAともなると長年たくさんの手術を経験し卓越した技術を持っている。彼らの能力はアシストのみに特化しており、卓越したベテランのPAと一緒に手術をすると「痒いところに手が届く」アシストでとても快適に手術を行うことができる。心臓外科に限って言えば、施設によりPAがどこまで独立して手術を手伝うか(胸の開け閉めなど)はまちまちであるが、共通しているのは彼らが手術の一番大事な肝の部分を行うことは絶対にないことである。心臓外科医のトレーニングの過程で助手側に立って術者を見て学び、助手の仕事を学ぶことは非常に大切なトレーニングの一部となっている。手術の各ステップを理解し、先の先を読んで術者がスムーズに手術を進められるようにアシストするのである。ちゃんとしたアシストができるかどうかは、トレーニング中の若手外科医が術者の位置に立って手術を任されるかどうかの判断材料の一つになる登竜門的な役割があると言っても過言ではない。このPAによる助手と若手心臓外科医による助手は、一見同じに見えて実は全く異なるものである。若手外科医はいつか術者として手術ができるようになることを目標にアシストを務める。逆にPAは助手をすることが最終目標でありアシスト以外のことは眼中にないのである。以前、当院で最も優秀なベテランPAジョンに聞いてみたことがある。

 

私 「そんなに上手に助手ができて、経験も豊富だから、自分で手術したらその辺の外科医より上手くこなすんじゃない?」

ジョン 「僕らは常にアシストをするだけだから、誰か(外科医)が何かアクションを起こして手技を始めてくれないとアシストすることもできないんだよ。だから、僕らだけで手術が進むことはないし、何より外科医がいてくれないと手術は始まりもしない」

 

思考の出発点が根本的に違うのである。外科医は「将来の自分のため」に自身に主眼をおいて目の前の術者をアシストをし、PAは「目の前の術者をアシストする」ことが全てであり、術者が何を思い何をしたいのか読み取り、常に相手のことだけを考えてそこに立っているのである。自我を完全に消し去り自身への見返りなど求めることもない。彼らPAが手術助手として優秀なのには理由があるのである。アシストするという以外の邪念や私利私欲がなく自我が皆無なのである。

 

 

誰かのために誕生日プレゼントを選ぶのは楽しい。何がいいかな、財布がいいかな、ネックレスかな。黄色がいいかな、ピンクかな。これが似合うかな、あれが似合うかな。相手が喜ぶ顔、それを使っている様子など、いろんなことを想像して決める過程が楽しいのだ。この過程においてずっと相手のことをあれこれ考えて選んでいるあまり、自分はあたかも相手のことを知り尽くしており、自分の想像通りのリアクションが返ってくると思い込んでしまったり、少なくともそれを期待してしまう自我がそこに介在してしまうのはある意味当然のことと言えるかもしれない。誕生日を祝われれば誰でもうれしいはず。自分がされてうれしいことは、相手もうれしいはずだ。前回喜んでくれたから、今回もうれしいはずだ。そんな風に思い込んでしまうのだ。どんなに相手を知り尽くし、どんなに相手を想ってプレゼントを準備しても、そこには無自覚の自我が紛れ込むのである。そして、想いを込めたプレゼントに残るそのほんのわずかな「自我」の残り香は、相手の気遣いを引き起こしてしまうのである。

 

「わあ、ありがとう!うれしい!」

 

こう言われれば、そのままストレートに受け取ればいい。相手が喜んでくれて自分もうれしい。それでいいはずなのだ。しかし、心臓外科医としてずっと修行してきた私は常に「相手のために」と思って行うアシストに自然と自我を埋め込んできた人間なのである。どんなに相手のことを想っていても結局自分のためにやっているのだろうと捻くれた思考を回し自問自答を繰り返している。相手のためでもあり、自分のためでもある。それでいいではないか、と自分に言い聞かせてみたりする。相手と私がいて、私がプレゼントを渡す時点で、それは他者に自我を介入させる行為であるのだから、自我の影響が相手に及んで然るべきだ。このように思考をする自分が存在する限り自我を消すなど実現的には不可能であると理解はしている。ただ私は、PAのアシストのように自我を完全に消し去った「究極に純粋なプレゼント」を渡せる日が来るのを夢見ているのである。

 

私は面倒臭い人間である。誕生日プレゼントに限ったことではなく、人に物をあげたり、手術手技を後進に教えたりするときに、相手のことだけを考えて「自我を消し去った究極の施し」を理想として追い求めている。それに何の意味があるのかわからない。そんなこと追い求めても意味ないだろうなとは思う。ただ、何かをあげたり教えたりした時に、「どう?うれしいでしょ?」「どう?役に立ったでしょ?」って思いが、ほんの少し、ほんのちょっとだけ私の心に顔を出すのが私は嫌で嫌でしょうがないのだ。見返りを求めず自分のためではない相手のためだけの「プレゼント」をいつかしてみたい。そう思っているのだ。煩悩まみれの私には土台無理な話なのかもしれないが。

 

 

それではここでラジオです。今回のラジオは、日頃上記のようなくだらないことをぐるぐる考え続けているあまり、逆に相手のことは一切考えず自分の自我100%でプレゼントを選んで送り続けるおっさんの物語です。それではおっさんずラジオvol.29「こんにゃく」で無駄時間の極みをお楽しみください。

 

 

プレゼントは相手のためにあるべきだ。自身のためであってはならない。究極のプレゼントについて考えているとき、たまに私の小学生時代の最高傑作ガラクタサンタ(厚紙製)のことを思い出すことがある。当時は苦い思い出として記憶していたが、最近はそうでもない。単なる笑い話的に捉えている。若かったとはいえ、気持ちいいほど豪快に100%自我オンリーで作ったプレゼントだからだ。笑うしかない。でも、せめて飴ちゃんは回収してくれよって今でも思っている。

 

 

追記:題名の「こんにゃく」が気になってる方います?ずっと訳のわからないことを冗長に書いているけど、どこに「こんにゃく」要素があるの?って思ってますか?こんにゃく思考の渦から抜け出せなくなってますか?もしそうであればうれしいです。私はずっとあなたのことを考えていたのですよ。あなたのことだけを想ってこの表題にしたのです。原題の「プレゼント」を「こんにゃく」に替えたのは私です。「どう?ちょっとおもしろいでしょ?」