ビーチはいいですよね。その良さを表す適切な言葉が浮かばないですが、とにかくいいです。適切な言葉を瞬時に選択できる能力、これって偉くなる人の条件な気がします。

 

留学前にちょっとだけ東京大学病院で研修をしていたことがあります。診療チームにはいくつかの班があり、手術や回診などはその班ごとに分かれて行われてました。僕の所属する班のリーダーは、かっこいい&頭もいい、いわゆるデキる男日本代表みたいな人で、回診時における患者さんとの会話も非常にスマートな感じでした。僕のような下っ端・足軽部隊はその後ろや横にひっついてリーダーのスマートな会話を聞いていました。

 

ある日の回診中、患者さんの病室に入ろうとしたところ、部屋のテレビにセクシーな水着を着た女の人がたくさんでているシーンが写り出されているのを見かけました。このまま部屋に入って行くのはまずい。。。これはいわゆる、志村けんのバカ殿が城下町に行きたいと言い出したら数シーン後には必ずおっぱいポロリシーンがでてくるやつ、リビングでの家族団欒が一気に気まずくなる予兆、現代的に言うと「この先みんながちょっと気まずくなるフラグ」が立っていたのです。このまま部屋に入っていったら確実にうっすらとした気まずい感じが漂ってしまう。それだけテレビに写る水着のおねーちゃんがセクシーだったのです。

 

とはいえ単なる足軽の僕に何か対処ができる状況ではありませんでした。頭の中では、もし僕がリーダーだったら、

1.テレビには触れずに普通に回診を続ける

2.「水着のおねーちゃんいいですねぇ」と思いっきしフランクにいく

のどちらかを選択するだろう、と思っていました。いずれにしろ悪手です。

 

南無三、と息を呑み覚悟を決めて入室すると、リーダーはテレビをそっと見つめたのち、穏やかな口調で

「いいですね、目の保養になりますね」

と言い放ったのです。

 

「目の保養」

その言葉がでた瞬間、さっきまで病室内に張り詰めていた緊張感が一気に解放されたのを感じました。「いやー水着のおねーちゃんがいっぱい写ってていいですねぇ」という下世話な会話が「いいですね、目の保養になりますね」に変わったのです。「水着のチャンネー」が「目の保養」に変わったのです。言葉の選択とはこうも世界を変えるのかと驚くとともに、意味は知っててもおそらく僕が今まで口にしたことない言葉「目の保養」、そして今後一生使うことのない言葉「目の保養」を即座に涼しい顔で選択したその先生には、僕の人生を賭しても勝つことはできないのだろう、と人生の敗北を認めました。

 

要するに何がいいたいかというと、夏のビーチは本当に目の保養になっていいです。