ベルギーの澁谷です。
ベルギーでのコロナの話をしたばかりですが、状況が1日の中でもぐいぐい変わってきました。
3/12夜にはベルギー政府が全ての学校は4/19まで休校、スポーツセンターや課外活動など全て中止、店もスーパーと薬局以外は営業停止。
仕事も極力テレワークで、ただ医療者はがんばってとのこと。
この発表が出て本当に愕然としてしまい、妻と相談し日本に一時帰国することにしました。
まず最初に考えたのは、子供の学校が完全になくなってしまうので妻が1人で2人の子供をずっと面倒みなければいけない(遊び場も全て閉鎖)ので、妻と子供2人は日本に帰って僕はベルギーに残るパターンを考えていました。
が、もし家族になにかあったとき、または僕自身に万が一のことが起きた時家族が離れているととても大変なことになると思い私も一緒に帰国することにしました。
ただ、正直自分が日本に帰ることにはかなり悩みました。
ベルギーに来てまだ7ヶ月ですが、言葉も思うように伝わない中で伝わらないなりに個人的にがんばったつもりです。
職場の人達と小さく積み上げてきた信頼関係を僕が帰ることでぶち壊すことになってまた一からスタートするのは嫌すぎるなという思いでした。
また、実験のスケジュールも5月までびっしり組まれていましたし、やりかけの実験も沢山あります。
あの日本人、仕事の途中で帰ったぜ、なんて言われたらどうしようと考えていました。
そこで僕の日本の所属先である横浜市大の益田教授に相談しようと思いました。
時間がないのでメールではなく電話したいと思い、なんとか秘書さんを通じてLINEで電話をしました(ベルギーは深夜、日本は朝一でタイミングがばっちりでした)。
すると、「大変やな〜帰るのも仕方ないと思う、先方に相談してみ〜。」(教授は九州の出身です)
とのお言葉をいただいたのでベルギーの留学先のボスに昨日朝一で相談しました。
え?お前帰るの?それは労働契約的に厳しいな〜、って言われるパターンと、いやいやそうよね早く帰り!って2パターンを想定していて緊張しながらボスに恐る恐る相談しました。
結果、「家族にとっては本当に困難な状況だと思う、家族のためにもその方がいいと思う!」と、とても優しい言葉をかけていただき帰国の許可をいただきました。
異国の土地で家族になんかあったら、という思いは伝わったようです。
ただ、この帰国が正しい選択かどうかは正直わかりません。もちろん日本でも同様に感染は起きていますし。
それにも、「それは誰もわからないよ今ベストだと思うことを決めていくしかできないから大丈夫だよ」、と優しく言われボスにホレてまうところでした。
まあ何かあったときに母国なら親族もいるしベルギーよりは安心かなというのは確信があります。
その後昨日はオペが終わった後いろんな人に、かくかくしかじかで来週から日本に帰ることになりました〜迷惑かけてごめんね〜、とあいさつして回りました。
すると僕が心配していたようなことは誰も思っていないようで、皆ぼくの家族の心配をしてくれて、また元気に戻ってきてねと言ってくれて涙が出そうな思いでした。
ということで大至急家族4人の日本への航空券を抑えて日本に1ヶ月ほど一時帰国します。
これを疎開というのでしょうか。
まさしく戦争のようです。
ほんとに長い1日でした。
ちょうど3/13にWHOがパンデミックの中心はヨーロッパに移ったとの声明もでたみたいです。
こんなに長い一時帰国ははじめてなので、荷物もまとめます。
冷蔵庫の整理がクセものですね。
写真は病院のコロナ注意の張り紙です。
3/9にこれが出たばかりで、激動の1週間でした。
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