(渡米への経緯 後編より続く)自分がメイヨークリニックに赴任した時、豊富な症例はあるがその臨床データを解析する人が全くおらず、私が唯一のリサーチフェローだった。渡米初年度から消化器国際学会のOral Presentationに選ばれたりと、英語口頭発表の作法と論文執筆の濃密な訓練をマンツーマンで受けた。また、メンターが米国のアカデミアでどのように仕事を進めているかを間近で見て、自分の近い将来のプランを直に相談する機会を得たことが、臨床研修に入る前にまずリサーチフェローの身分で渡米した最大の収穫の一つだった。当初は1年の予定でいたが、もう一年の延長をオファーされ、臨床研修に入る年数が更にまた遅くなる事も悩んだが、自分の中長期の目標を総合的に考えた際には自分の武器を更に磨いて強めるにはあと1年必要だと判断し、レジデンシーマッチへは卒後8年目で臨むことになった。
大学病院での消化器内科(GI)フェローシップに何としても進みたい、というかそのために臨床留学の道へ進んだと言っても過言でなかった。
そこで、どうしたら外国人が大学病院のGIフェローにマッチできるかを考えると、
ことが最低限必須だろうと考えた。
USMLE STEP 1(208)とCSは横須賀海軍時代に済ませ、CK(224)とSTEP3を渡米して1年目に受けECFMG certificateを取得しておいた。レジデントから入るには点数が低く卒後年数も経っていたが、だからこそより一層他の候補者にはないものを身に着けることは必須で、先のGIフェローシップを考えれば、自分にとってのそれは臨床研究の業績であることは明白だった。自分を見てもらうにはCVに書ける“目に見える業績”が大事なので、1年目はメンターから与えられたプロジェクトをミスなく完成させることに注力していたが、2年目は自分から進言して一つでも多くの成果を上げるように努力した。
メイヨークリニックには自分と同じように臨床研修に入る前に研究フェローとして渡米して、レジデンシーマッチに臨む留学生が世界中から沢山来ていた。彼ら彼女らと知り合いになり、情報収集に努め、また日本人で既に内科レジデンシーをされてる先生方に(すこし厚かましいくらいに)積極的に連絡を取りアドバイスを仰ぎ、2年目には他病院でのエクスターンシップも1か月行った。妻とも約束していたが、挑戦は一度だけ(アンマッチなら帰国)と決めていたので、後悔のないように、自分できると思うことはすべて行った上で挑戦しようと決めていた。
COMMENTS