もう一つ、当時日本での研修中に消化器関連の学会や地方会で発表した時に感じていたことが、医療疫学・統計の知識とその運用技術、そして英語での発表と論文執筆能力を身に着ける必要があるという事だった。

海軍病院に行くことが決まった時点で米国に渡る自分の戦略を考え始めた時に、学生時代にお世話になった医学英語の先生の事を思い出した。その先生は医師ではないがnative speakerで、消化器英文医学誌のeditorをしておられた。卒業以来初めて連絡したにも関わらず快く相談に応じてくれて、メイヨークニックのDr.Kenneth Wangを紹介するから施設を見てきたらと進めて下さった。日本の研修病院での生活が終わり、4月の海軍病院での研修開始までの短い期間であったがメイヨークリニックを訪れた。後に私のメンターとなるDr.Wangとの、このときの出会いが私の人生を大きく変えた。後に米国消化器内視鏡学会(ASGE)会長をも務めるDr.Wangは多忙な中、私の見学を快く受け入れて下さり、彼が率いるメイヨークリニック治療内視鏡部門の施設、手技また所属する医師達を紹介してくれた。消化器内視鏡医なら知らない人はいない内視鏡のスーパースター達が僕に気さくに声をかけてくれて胸が高鳴ったのを今でも覚えている。その時に、治療内視鏡は消化器内科の研修後に更にもう1年専門の研修として位置付けられ、内視鏡専修分野も年々人気が高まっていることを知った。兎にも角にも、施設の規模はもちろんのこと、とても集約された治療内視鏡の件数にとても驚いた。自分は日本で研修していて年数的に遠回りしてる分、症例が集約されている米国で治療手技を更に磨く研修を受けることはむしろプラスだなと感じた。

見学期間に消化器フェローのカンファレンスを見学したのだが、その時は偶然にもフェローがプレゼンするジャーナルクラブだった。自分が日本の研修中にその必要性を痛感していた、正にそのことを目の前でGIフェロー達がその知識を披露し互いに議論していた。これらを身に着けておくことは米国のアカデミック施設での専門研修には必要不可欠だと確信し、米国人の持つそれに引けを取らないものを身に着けたいと強く感じた。

そして見学中にDr.Wangからこう聞かれた。「将来、自分は何を目指して、どこで何をしたいのか?」

「自分は臨床研究のバックグランドを持った消化器内科医そして内視鏡医になり、米国や世界中の医師達とネットワークを築きながら仕事がしたい」と、その時答えた。そしてこう続けた。「先生の所で臨床研究のフェローとして勉強させて頂けないでしょうか?」

それならばと、Dr.Wang から有給Research FellowのPositionをオファーして頂いた。この時に自分の腹は決まった。妻が私の目標実現のために渡米することを応援してくれ、海軍病院卒業後、卒後7年目に二人でメイヨークリニックのある米国ミネソタ州へ渡った。