かけるものが大事、という話です。

 

アメリカに来てからいわゆる健康的な食事を食べてこなかったからかビタミンなどが足りてない気がしており、ビタミン摂取のために昼は病院の食堂で大量の野菜を食べることにしています。好きな野菜・好きなドレッシングを口頭で注文する厄介なシステムで、野菜はまだギリいけるのですが(トメイトウ、など)、ドレッシングの注文に苦渋します。まず、ドレッシングの名前がわかりません。そして、わかったところでうまく発音ができないためドレッシングの名前を知ろうとするモチベーションも起こりません。なので結局ビネガードレッシング(最も伝わりやすい)を注文するのですが、もちろんあまり美味しくはありません(野菜も・ドレッシングも)。同様の現象はパスタのソースを注文する時にも起こります(パスタのソースの名前もよくわかりづらいです。もちろんミートソース、とか言っても伝わらない)。なんとかこの野菜問題を解決するため、amazonでピエトロドレッシングを買ってかけたところ、あまりおいしくなかった野菜も「この野菜は美味しいな〜」くらいにまで美味しくなりました。野菜の味は基本的にはドレッシングによってほぼ決まるのではないかと思います。

 

 

こんな話があります。日本に帰った時に実家で納豆(好物)を食べた時、いつもは納豆についてるタレを使っているのですが、なぜかその日はタレが除かれていたので醤油を代わりにかけました。というのも、小学生くらいの時までは「タレよりもむしろ醤油だな」と完全なる醤油派だったので、懐かしさすら感じていました。ところが、その納豆を一口食べた瞬間、この醤油をかけた納豆はもはや僕が好物として挙げる納豆ではなく、醤油味の何か別のもののように感じてしまったのです。いつのまにか僕は、納豆ではなく、納豆のタレの方を追い求めてしまっているのでは。納豆のタレをそのままご飯にかけて食べればその答えはおそらく出るのですが。