前にも書きましたが、術前はめちゃくちゃ不信感出してたくせに、術後は「お前の言うことだったらなんでも聞くよ」「あんた命の恩人だ」と180度態度を変える患者さんがたまにいます。この前術後外来でそういった中の一人の患者さんに会ったのですが、一通り診察を終えると(心臓の音を聞いてグッドと言うだけだが)なんだか恥ずかしそうにもじもじしながらパンパンになった銀色の包装紙に包まれた何かを渡してきました。

 

ん、なんか変な空気だな。どこか違和感を感じたのです。これはいわゆる日本で言うところのアレではないか。そう、いわゆる袖の下(医師に直接渡される現金のこと)なのでは。時代も変わり今日本ではどうなっているかはわかりませんが、少なくとも僕が研修医の時なんかは結構そういうのを渡してくる患者さんがちらほらいたような気がします。僕がまだ研修医1年くらいで目が輝いていた頃は「俺はそういうの受けとらないようにしてるんだ」と特にそこに自分の意思や考えは存在しないのだがなんだかそう言った方がカッコいい気がしたからそうしていましたが、2年目くらいからはなんとなくどうでもよくなって、最終的には「そんな、お気持ちだけで結構です」と一度は断るが、相手も用意してきてわざわざ出したものをそうですかとしまうわけにもいかず再度渡してくるため「それではいただきます」と二回目ですんなりと受け取るという一回断るルールを適用するようになり、アメリカ初めての袖の下(仮)に対しても同様にこのルールを適用することとしました。

 

「パンを作ったんですの。先生のお口に合うかわかりませんけども、オホホ。ただのパンですわ」

 

パンパンに張った銀色の包装紙。どことなくハイソな身だしなみに高貴な人特有の笑い方。ただのパンであることをやけに強調する。これらのヒントと僕の11年間の医師としての経験が、これは袖の下で間違いない、と疑惑を確信へと変えていきました。

 

 

外来の看護師に見られないようパンパンになった銀色の包装紙に包まれた何かを白衣のポケットにぎゅうぎゅうに詰め込み、とりあえず外来を中断して逃げるようにオフィスに戻りました。袋を開けてみると中には、ぎっしりとパンが詰まっていました。とても美味しいパンでした。