「これは医療の規模が違うな。この国で消化器内科医の正規トレーニングを受けたいな。」

卒業後5年目が終わる3月にメイヨークリニックを見学に訪れたときに抱いた感想だった。

卒前から米国臨床留学に興味はあったが、卒後に日本で一般内科と消化器内科の研修を受けていて、この先に米国に渡る意味はあるのか、あるとしたらそれは何なのかと考えていた。当時の研修部長との話し合いで、卒後5年終了を目処に次のステップへ進むようにと話し合っていた。自分はスーパーローテーション開始直前の世代で、卒後に臨床研修病院の内科へストレート入局し、同じ研修病院に残り消化器内科の研修を受けていた。このまま日本で消化器内科のサブスペシャリティーの研修を受けるのか、それとも以前から憧れていた米国への留学の挑戦をするのか迷っていた。

そこで実家の横須賀にある海軍病院を受験して、合格すれば米国に渡り、不合格なら米国へ行く縁はなかったのだと考え日本で医師を続けようと決断した。横須賀で生まれ育ったがそれまで基地内には入ったことはなく、研修中の夏休みを利用して行ったエクスターンが初の基地体験だった。そして横須賀海軍病院のみを卒後5年目の秋に受験し合格した。卒後6年目を横須賀海軍病院で過ごすことが決まり、いよいよ臨床留学への道へ進もうと腹は決まった。手技があり、臓器と病態が豊富な消化器内科が好きだったし、研修病院で師事した恩師が米国で内科と消化器内科の臨床研修を終えた方で、その先生の卓越した臨床能力をぜひ自分も身に着けたいと考え、渡米前から米国での消化器内科研修への興味は強くあった。一方で消化器内科は内科専門科の中で最難関であることも聞いていた。外国人が正攻法で挑戦してもダメなので、他人に負けないオリジナルなものを身に着けなければならないと強く思った。