(前編より続く) マッチへの挑戦は一度と決めていたし、実際の応募に際して払うお金は自分の将来への投資であると覚悟し、家族で住む地理的・社会的条件を満たしうる全米各地の100を超えるプログラムに応募した。面接には大学病院からは2箇所(1箇所は日本人の先生が過去に在籍されていた西海岸のプログラム、もう1箇所は色々な伝手を頼りプログラムディレクターに直接自分のCVを読んでくれるようにお願いできたプログラム)、大学関連病院からは5箇所、その他のコミュニティー病院からも呼ばれた。

大学病院か大学関連病院にマッチできるように面接への入念な準備をして臨んだ。大学病院/関連病院の7箇所はもちろん全て面接に赴き、コミュニティー病院へは最初に数か所だけ面接の練習・場慣れのために訪れた。大学関連病院の3カ所からはHビザでのプレマッチのオファーもあった。家族で住んでも大丈夫な環境のプログラムだったので少し迷いは生じたが、プレマッチのオファーは光栄ではあったがお断りした。自分の渡米の理由と目標はあくまでレジデントの先のGIにあったので、可能性は高くはないと思っていたが、大学病院プログラムへのチャンスが少しでもあるのなら後悔しないように挑戦しようと決めた。

 

マッチの結果はピッツバーグ大学関連病院だった。

 

このプログラムは札幌にある有名研修病院と提携していて、定期的に日本人の内科レジデントの先生が在籍されていたのだが、私のマッチの時はその提携は既に解消されていた。しかし提携最後の日本人レジデントの先生が(私の応募時に)内科3年目にいらっしゃり、その先生とコンタクトを取り病院見学をさせて頂いていたプログラムだった。

 

マッチの結果が出た直後は、正直なところ大学病院に行けなかったことがとても悔しくしばらくは心の整理ができなかった。しかし、今振り返ると、自分にとって正にベストの環境が与えられたことが後になって分かるのだった。