9月からシカゴ大学でリサーチフェローとしてお世話になることになりました、渡邊達也です。卒後7年目になります。この度、ブログ作成の機会をいただきましたので少しずつ書いてみようと思います。

初回はなぜ留学に至ったのかということでどんな気持ちで留学に至ったのかを書かせていただこうと思います。

 

もともと心臓外科をしようと決める前、学生の頃からアメリカに留学してみたいという気持ちはありました。その時はアメリカに留学して一流の技術を身につけて、というよりは海外で生活してみたいという生半可な気持ちでした。実際に心臓外科に進路を決めた後は、留学を経験した先生の手術をみて、自分もこんな風になりたいという思いで、自分もいつか必ず臨床で留学しようと思っていました。

前任の病院では、臨床でも手術執刀の機会もいただきながら、研究に関しても自分で考えた内容を基礎研究としてゼロから作っていくという貴重な経験をさせていただきました。稀にみる恵まれた環境だったと思います。が、当然ですが、こんな知識も経験もない若造に基礎研究をうまく進められるはずはなく、お金ばかり飛んでいくだけでなかなかうまく進められず本当に迷惑をおかけしたと思います。グラントを自分で取っていたわけでもないのでなおのこと迷惑しかかけていない状態でした。でも、臨床で出てきた疑問を研究で解明しようとすることがすごく面白くて、外科医でありながら基礎研究はしていきたい、自分できちんとグラントを取って、マネージメントしながら基礎研究を行っている心臓外科医になりたいという思いは固まりました。

大学院もちょうどその頃卒業になり、次のステップをどうしていくかとても悩んでいました。基礎研究をしながら手術もしている先生は日本だと大手の大学病院の先生くらいだし、、今更大手の大学病院に移ってそういう状況までたどり着けるのだろうか、、、という感じでした。バックグラウンドのない自分がどうやって基礎研究のできる心臓外科医になったらいいのか、、研究の実績を積んでいったらいいのかと思っていた時に過去見学に来た時のシカゴ大学を思い出しました(嘘です、、ずっといいなあと思っていました)。。太田先生のところは日本人のクリニカルフェローの先生もいつつ、リサーチフェローもいてリサーチの管理もされていました。。連絡を取ってみると即答でオッケーでした。完全に運というかタイミングの問題でしたが。

なぜシカゴ大学に来ようと思ったかというと、チームWADAのおかげで情報が多かったので安心感があったからというのが大きいかもしれません。全然情報通ではなかったので、留学先の情報もほとんどなく、自分で探すのも上司の先生に探してもらうのも難しい状態の中で、大学の中の情報だけでなく、街中の情報なども積極的に情報発信されていて、日本人の先生も多く、なんとか馴染めるのではないかと思っていました。そして、太田先生が監督して、クリニカルの先生もリサーチの先生も結果を出してうまくやっていているのをみて、自分も同じように成長できたらいいなと思っています。

積極的にいろいろな研究に参加してしっかり勉強できたらと思っています。金銭的な問題や家族の問題などもいろいろあって帰国されるケースも多いですが、できる限りはやることがなくなるまでアメリカで頑張りたいと思っています(どこにいてもやることはどこまででもあるんでしょうけど)。え、こんなこともできないのみたいな感じで迷惑をかけることがあるかもしれませんが、、、なんとか頑張っていこうと思います。よろしくお願いします。