2016年9月から始まったシカゴ大学におけるLVAD/移植フェローシップが終わりました。LVAD/移植とか言っておきながら最終的には色々やっていました。よくトレーニングの質に関して正規の方が優先される施設がある、と聞きますが、やる気のないレジデントの多いシカゴ大学ではむしろ非正規の僕の方が充分なトレーニングを受けることができたと思っています。他を知らないのでなんとも言えませんが、トレーニングも受けれたし、職もゲットできたし、よかったなぁと思ってます。ちょっと長くなってしまいますが、出会った人たちについて書いていきます。
drジバナンダム
シカゴ大学心臓外科のチーフ。手術はもちろん全般的に上手で心不全手術をライフワークにしており「困難な症例ほどわくわくするんだ」とゴクウみたいなこと言っていました。輸血拒否患者を積極的に受け入れたり、新たな心不全手術を開発したり(植え込み型IABP)非常にアクティブな感じです。なぜかめっちゃ長い持針器を使用しており、一緒に手術に入るとそれが普通にでてきます。やりづらそうに僕がその持針器を使用しているとナースが気をきかせて短いやつを出してくれようとするのですが、それは頑なに断っていました。チーフのやり方をそっくりそのままやること、チーフが使っているものをそのまま使うこと、それだけが英語の喋れない僕がチーフに意思を示すやり方だと思ってました。まぁ当の本人は特に何も思っていなかったと思いますが。手術中はほぼ必ず「カモーン」「ヘイヘイヘイ何やってるんだ」と怒られました。どれだけ頑張って同じようにしようとしても、気にいらないことはたくさんあったみたいで。最後の方は少しだけその機会も減ったかな、と自らの成長をそこに感じることなんかもありました(怒るのに飽きた説もありますが)。最初から最後まで僕の英語力の乏しさ、というか喋りかたがイケていない、と許してくれず全くハマりませんでした。それでもある程度は信頼してくれていたみたいです。ぎりぎりのところでシカゴに残らずワシントンDCに行きます、と伝えた時は笑顔で「It’s up to you だ」と言ってくれました。もう少し英語が話せたら、もっと仲良くなれたのかな、と残念に思います。もしシカゴに残って彼のもとで更に修練を続けたらどうなっていくのだろうな、と思うことはあります。きっとシカゴに残っても楽しくやれるのだろうなと。
左がジバナンダム
drバルキー
ロボット外科医です。毎日ロボット を使って心臓の手術をしています。彼に出会って僕も将来ロボット をやりたいと思うようになりました。シカゴに来た当初、太田先生から「彼のロボットデータを使えば論文なんでも書けるよ」というのを聞き、そりゃいいやと思い直接話をしにいったのを覚えています。バルキー自体はそこまでアカデミック活動に熱心ではなかったので最初は「あ、あーやりたいの?いいよ、データとか集めてね」と適当でしたが、徐々にやる気がでてきた感じでした。彼との出会いは僕の心臓外科としての人生を変えたと言っても過言ではないです。また、次の就職先のMedstar washington hospital centerの現在のチーフはソラーニという人ですが、これがバルキーと仲がよく電話で話などをしていたみたいで「ヒロ、あー、頑張ってるんじゃん」みたいなことを言ってプッシュしてくれてたみたいです。また、ソラーニ自体もロボット手術をいつか始めたいという思惑があったみたいで、話がすんなり通ったのだと思います。この時に人との繋がりが何より大切なこと、手術以外の活動も大事なんだな、ということを感じました。コネとCVですね。
バルキーと
テイ
若手アテンディンで主にECMOなどのacute supportと肺移植を担当しています。兄貴分です。手術はうまいのですが、時々(というか結構)なんで?というdecisionをすることがありました。それでも彼と僕だけがecmoや肺移植を担当するので、ヒーヒー言いながらも仲良くやってきました。テイがすごくかっこいいな、と思うところはどんな状況に陥っても決して他を悪く言ったりしないこと、どなったりしないところです。あとは、僕に対して最初から最後まですごく紳士で優しかったことです。なんでそんなに優しいの?と疑問に思うくらいです。英語の不慣れな僕を、かつての自分と重ねているのかもしれません。テイから教わったことは非常に多く、エクモとか、エクモとか、エクモとか、とてもとても感謝しています。
テイと手術室メンバー(前列左からレイラニ、ショーン、ロザンナ)
ジョンG and S
忠誠心の塊の最強PAジョンGと、お調子者のジョンSです。どちらもかなりの実力者で、最後まで手術のご指導をいただきました。一緒に働く時間が一番長かったので、最後の方は何を言わなくてもお互いの考えてることがわかるくらいまでになりました。というか最後までジョンSが何喋ってるかははっきり聞き取れませんでした。
左 ジョンS 右 アージェー
マッケンジー
ロボット PA。学会などではご飯を食べにいったりすることがあり、実は太田先生、テイについで職場以外で会うことが多かったかもしれません。彼女も手術が非常にうまく、医学的な意見もズバっという感じでロボットルームのもう一人の外科医でした。
左からアグネス、ショーン、マッケンジー
レイラニ
看護師の長。長でありながら常に笑顔で冗談を言っているムードメーカー的な存在です。僕に会うと必ず寝てるか?ご飯食べたか?などと聞いてくれていました。手術室のマネージメントを一手に担い、緊急なども嫌な顔一つせず冗談を言いながら受けてくれていました。もう20年近くシカゴで働いていますが見た目30代くらいと若いです。
アグネス
太田先生専属ナース。若手。当初は出来損ない感があったらしいのですが、今では誰よりも太田先生の手術をマスターするスーパーナースです。通常できない人はいつまでたってもできない場合が多い気がするのですが、彼女は例外的に僕がいる2年間の中でも明らかに進化していました。僕もその2年間でしょぼい奴からまぁまぁレベルまで成長したので、お互いの成長を見ていく中でなんとなく親近感みたいなものを覚え仲良くしていました。基本は笑顔で楽しくいつも話しているのですが、時間が遅くなったりすると明らかに不機嫌感をだしてきます。それが僕的には少し愛らしかったです。
アイリーン
中堅ナース。仕事は確立されておりミスすることや怒られることなどはほとんどなかったです。決まりごとに忠実で、ドレープの仕方、使用する器具、など毎回のように「ヒロ、私やるから触らないで」と言われていました。一見怒っているのかな?といった見た目で怖かったのですが、中身は全くそんなことなく一緒にいて非常に心地よかったです。
左から ジョシー、アイリーン、ジョアナ、ヴェロニカ
ショーン
一番のおしゃべりかつ面白いナース。陽気な感じがとてもよかったです。もちろん仕事もしっかりできる人でした。言いたいことはなんでも言って、基本的には冗談をずっと言っていました。彼女が1人いるだけで手術室のムードが変わっていました。
ヴェロニカ
そつなく仕事をこなす感がすごいナースです。アグネスがスーパーナースになるまではヴェロニカが最強のナースでした。間違いをしないこと、気の使い方、手術を見ている感がすごかったです。おしゃべりでワーワー喋るというよりは落ち着いた感じで暖かく見守ってくれていました。
ロザンナ
結構シニアなのですが、唯一心臓外科専門ナースで手洗いがちゃんとできないナースでした。しかもできないのになぜか強気な感じでした。ただアクは強くなく他のナースと同様基本的には冗談好きで常に笑顔なので、それらを全部含めて愛らしいキャラでした。
アージェー
呼吸器担当の男ナース。肺移植の時に会うことが多かったです。
ヤン
CTICUのナースで現在はAPNというスーパーナースをやっています。韓国出身でなぜか来た当初から僕に優しくしてくれてました。日本語も読めるみたいでこのブログの愛読者です。チームWADAのメンバーでもあります。ICUに行くといつも話しかけてくれて、とても嬉しかったです。
ティファニー
可愛い麻酔科レジデント。とにかく可愛いです。
平井 先生
シカゴ大学循環器内科のインターベンションフェロー。近い世代の日本人が心臓領域にいることで仲良くしていました。平井先生とは一緒に論文を書いたり、食事したりよくしてもらいました。その緩衝剤力(バッファー力)には定評があり、今ではどの食事会があっても「平井先生がいたらな」と言う話がでます。狭い世界ですしまたどこかで一緒に働くこともあると思います。
今村 先生
循環器内科研究フェローで統計の神です。食事会のあとは必ず「何かあったらいつでも言って、なんでも手伝うよ」と言ってくれていたのですが、僕の力が及ばず特に何も頼めなかったのが残念です。東京大学に論文マシーンがいる、とpubmedなどを眺めながらその存在は実は知っていたのですが、シカゴ大学においても飄々としながら大量に論文を作成していく姿は圧巻でした。
太田先生
我らが太田先生です。留学前、2016年2月に行われた心臓血管外科学会で初めて会いました。その時がいわゆるシカゴフェローの面接でした。失礼のないようにつとめていましたが、その時はまさか僕と太田先生でチームWADAを結成したり、ブログを書くことになるとは思っていませんでした。というより、見た目から太田先生は非常に真面目な、なんなら怖い感じの先生だと思っていたのですが、その予想はいい方に大きく裏切られました。
入った手術は全て執刀させてもらいました。最初の頃は毎回、なんかヘマをしたらお取り上げになったりとか、その前にイケてない手術をしたら次は手術をさせてもらえないんじゃないかとか考えたりしていたのですが、どんなことがあっても手術を執刀させてもらえました。助手側からコントロールできるだけの技量はもちろんあるのだと思うのですが、そういった教育者のマインドに僕は尊敬の念を抱いています。
間違いなく言えるのは、アメリカにおいて今の心臓外科医としての僕を作りあげたのは太田先生だと思います。残念ながら笑いのセンスやもろもろのプライベートの所業、価値観などはたくさんアドバイスをいただくも成長することができませんでしたが、こと心臓外科の仕事に関して言えば、ほぼ全てです。もちろん感謝はしていますし、それ以上に太田先生に出会えたことが嬉しくてたまらないです。そして、働く場所は変わってしまいますが、これは決して別れではなく、また新しい関係性としてのスタートだな、と思いこれからを非常に楽しみにしています。
まとめです。このフェローシップを通して、手術は当然として、人との関わりの大切さ、業績の大切さ、笑いの大切さを学びました。そして、これらは引き続き学び続けていきたいことだと強く思っています。まぁとにかく楽しかったです。
シカゴまとめ
執刀数 230
LVAD/移植 58/41
給料 800万円/年
チームWADA Tシャツ 266枚
ブログ投稿数 504
あ、今後もブログは続けます。
4件のコメント
You’re one of the best fellows!!!
You have raised the standard too high! It will be super hard for the next person to fill your spot.
I hope D.C. treats you well.
ありがとうございます、ヤンさんのおかげです!
北原先生、最後はまじめでシメましたね!シカゴ大学に来れて一番よかったことは先生方と出会えたことだと思ってます。チーム和田の一員としての活動ももちろん、古い救急室で一緒にエクモ入れたり、一緒に手術入らせてもらったりしたのもいい思い出です。同じような年齢と立場で、スーパーマン的な活躍をする先生にはいつも刺激を受けました。これからも引き続きスーパーマン的な活躍を期待します。必ずまた一緒に働きましょう!本当にありがとうございました。
ありがとうございます!またぜひ。