北原先生 シカゴ大学フェローシップ総括 V.5.5.5.5.5.5.5.フィーバー

2018-09-25

お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。

1ヶ月ほど前にこの総括を執筆するように北原編集長から依頼がありました。ずっと何を書こうかと考えていましたが、本当に言葉にならないと言うのはこのことですね。実際言いたいと思うことはあふれ出て台風のごとく吹き荒れているのですが、柄でもないことを言うと胸がいっぱいで言葉にならないのです。少女漫画風に言うと、なにがわかんないのかもよくわかんないんだもん(水色時代)。

ブログを書くときはいつも最終的には長すぎる文章を削ることで調節するのですが、今回は足していく感じです。主たる問題は北原大翔なる人物が立派な心臓外科医であり、今後もどんどん成長していくであろうことが、ほんの小さなどうでもいいことであるかのように思えるほど、彼自身が素晴らしい人間であることに起因しています。彼がどんな外科医で、シカゴのフェローシップを通してどのように成長したかと言うのは、今回のブログの題名にもなっているにもかかわらず伝えるべき・伝えたい情報ではないのです。

フェローシップ開始後12ヶ月経った頃、通常この時期は何もかもがわからなくて、かつシカゴの寒い冬も手伝ってかなりの確率で鬱になっているだろうと思い、いっちょ私が悩みを聞いて激励してあげるか!ってことで彼をオフィスに呼び出して:

太田「どう?調子は?」

北原「まあぼちぼちですねー」

太田「英語とか大丈夫?」

北原「まあ、大丈夫。。。ではないですけど、まあそれは言っても始まらないですから」

太田「そうか。。。まあせやな。なんか悩みない?」

北原「ま、とりあえずなんとかなってますね」

太田「あ、そーなんや。まあ大概の人は鬱になるから、どうかなと思って」

北原「あ、そういや悩みありますね」

太田「お!どした?なに?」

北原「このIDバッジがクルクル回って、どうやっても結局裏向きになるんですよ」

太田「ん?!」

北原「いやこれがね、ペロって後ろ向くんですよ」

太田「あ、あーそんなこと?!」

北原「これは大分ツライですよ」

太田「よし、それならIDのリールを4つ付けて4方向から固定すれば絶対に裏がえらへんで」

北原「は?!」

太田 ピッ「いや、このアマゾンで売ってるこの10個入りのやつを買ってやな、4つで全ての角を固定するねん」

北原「いや、それはちょっと持ち帰らせてください。そんな人いないでしょ」

太田「そりゃおらへんよ。そもそもそんな悩みを持ってる人もおらんからな」

北原「ちょちょ、ちょっと待ってください。それは考えさせてください」

太田 ピッ。「もうクリックして買ってもたから。お悩み解決で、もう大丈夫やな」

北原「いや、悩みがまた増えた感じです」

元々、タダ者ではないと思っていたましたが、程度の違いこそあれ渡米した日本人のほぼ全ての人が鬱になるこの時期に、このやり取りをできる彼をして、もしかしたらとんでもない大物なのではないかと思った出来事でした。北原先生が皆が思う北原先生である最大の所以はどんな逆境でも負の力を抱え込まず全てをポジティブに変えて物事を遂行できるからだと思います。彼のブログを通して見たシカゴ大学のフェローシップは非常に楽しくて、良いことばかりみたいな印象を受けると思います。実際、彼の目を通せばそうなのかもしれません。しかし、多分にもれず全てのフェローシッププログラムがそうであるように、嫌で苦しいことも多々あります。どんな負のタスクも自分の力で正に変え楽しんで行う彼の姿勢からは非常に学ぶことが多かったです。

冒頭の通り、北原先生のことは語り尽くせません。ですので、私のことをちょっと語ってみたいと思います。

北原ファン「え?なんで?」

太田「いや、まあそう言わずに聞いてください、お姉さん」

北原先生が来るまでは私は自分の鍛錬のことのみに集中し、人にものを教えるなんて全く考えたことがありませんでした。様々な思惑や経緯を経て、シカゴ大学初のアドバンスドフェローのポジションに北原先生を迎えることが決まってからは、自分が雇ったんだからいい加減なことはできないと思い、どのようにフェローシップを構築していくか真剣に考えました。何もかもが初めてのことで試行錯誤の連続で、北原先生にはいろいろと不便をかけたかもしれませんが、ただ一つ私が胸を張って言えるのは、私はこの2年間、北原先生の教育に全力を尽くしできることは全てやりきったと自負しています。今現在の心臓外科医としての北原先生を見るにつけ、私の教育者としての自負、もしくは達成感のようなものがあるように思います。しかし、それは全くの錯覚であり、教育する側が優れていたのではなく、単に学ぶ側の北原先生が優れていただけだというのも承知しています。優秀な修練生という役割を十分に全うすることで、教育の初心者である私を教育者として逆に鍛錬させてくれることにより私を心臓外科医の次のステップへと押し上げてくれた北原先生にはいくら感謝しても感謝しきれません。

本音を言えば、ずっと一緒に働いていたい。しかしそれは中学生が仲の良い友達があの高校に行くから僕も行きたいっと言っているような取るに足らない戯言にすぎません。2年間、彼とずっと苦楽を共にするうちに、師匠と弟子、心臓外科医のアテンディングとフェロー、なんてつまらない枠を超えて、単に人と成りを考えた時に、この偉大な人物を自分の元に繋ぎ止めていてはいけないような感覚が湧いて出てきたのです。理由はよく分からないが、とにかく自分の元から世に解き放つのが人としての義務のような漠然とした何かの意思を感じるのです。

北原ファン「なんか、気持ちわるーーい」

太田枢機卿「信じるものは救わレーーる」

おそらく歴代の彼の指導者の先生方も同じような感覚を持っておられたと思います。少女漫画風に言うと、これは神様が決めたことだけど並べられた運命のコマをどう進めるかは自分次第(ご近所物語)。

北原先生のシカゴでの最後の1週間は、それまで毎日のように入っていた私の手術がパタリと途絶え、唯一予定していた手術も患者さんの状態の都合で延期となり、もう一緒に手術に入ることはないのかなと思っていた刹那、準緊急手術が降って湧いて最終日の最後の手術として一緒に手洗いすることができました。そのあと夜遅くに私のオフィスでデブリーフィングと銘打って単にうだうだと2時間ほどしゃべっていたのですが、その際、北原先生が面と向かって私に「太田先生には本当に感謝しています。ありがとうございました」と。

この人物は本当にすごいと思いました。一見当然のように思える感謝の意を述べるという行為ですが、誰にでもできることではないと思います。私もピッツバーグやニューヨークでお世話になった人たちにお礼を述べた記憶はありますが、もっと適当だったような気がします。この北原先生の言葉をいただいた瞬間、こちらも感謝の気持ちを伝えなくてはと思うものの、言葉にならず「まあ別に言うことないよ、次頑張ってね」なんて意味不明な返事をオウムのように繰り返す私を自分自身のことでありながら本当に恥ずかしく思います。今からでも当時の私を、鉄板焼き屋さんの鉄板の端に開いている焼きカスを落とす穴にこそげ落としてやりたい気分です。でも、この最後の2時間は私にとって起承転結のある良い2時間ドラマであったと同時に彼を世にリリースすることが正解であったと確信できた時間でもありました。少女漫画風に言うと、あなたとならできるかな?流れ星においつけるかな?(神風怪盗ジャンヌ)

これは私が初めて北原先生を携帯の写真に収めた時のもので、比較的しょぼい時の北原先生。まあぱっと見はイケてる感じですね。それともう一つ皆さんが知りたがっている北原先生ゲイ疑惑ですが、未だ未解決です。ただ最後の方は北原先生の私を見る目はちょっと怖かったのを申し添えます。

それでは北原先生、シカゴ大学に来て頂いて本当にありがとうございました。今後も共に成長できることを願っています。今までと変わらず前を向いて目標に向かって突き進んでください。北原ファン全4人のうちの1人として応援しています。

業務連絡:

北原先生、頂いた賄賂の量に対してちょっと褒めすぎた感があります。2割増しくらいでしょうか。追加の分の賄賂の発送早急にお願いいたします。

コメント

  • 北原 大翔 2018-09-25 at 7:21 PM

    色々とありますが、とりあえず僕は女の子が好きです。

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