はじめまして、シカゴ大学リサーチフェローの幸田と申します。今年の7月から太田labでお世話になっております。主な仕事は豚の実験です。
今回シカゴ大学で北原先生にお会いし、ブログ投稿の機会をいただきました。日本にいた時から拝見していたブログにまさかこうして自分が投稿することになろうとは思ってもみませんでした。
内容についてですが、シカゴやシカゴ大学の雰囲気、特徴などについては太田先生、北原先生の秀逸なブログにあるように、おおまかにそのようであります。なのでシカゴについて、ここがこうです。といったことなどは、私が書くことはとくに残っていないように思われます。
ですので、シカゴに到着して3ヶ月たった今、私事で恐縮ではありますがこの場を借りて留学を振り返り、出来事やそのときの気持ちを記し、備忘録とさせていただこうと考えました。
2017年7月
留学についてはK戸大学O北教授から、ICUに向かう廊下で初めて伝えられました。”あー、幸田。シカゴで人が欲しいみたい。行く?” “あー、お願いします”。漠然と留学はしてみたいと考えていましたが、能動的に行動していたわけではありませんでした。突然にその話が自分の進路上に出現したことに、少し興奮したことを覚えています。話しを振った教授は、御髭の中で何やら、にやにやもごもご、とされていました。” *幸田$%^^&&、英語%^^&&** ” 。その後も何か情報を伝えていただいていたと思うのですが、すみません教授、何をおっしゃっているのかその後は聞き取れませんでした。当の私は長男2歳、長女ちかぢか出産予定、子供の教育のことを考えると時期としてはどうだろう、などと本決まりでもないのにいろいろと考えていました。
2017年8月3日
妻の出産のため、K戸大学から姫Jへ向かう新幹線内で太田先生から初めて留学に関するメールをいただきました。O北教授から話は聞いたものの、直接太田先生からご連絡をいただき、段々と留学が現実味を帯びてきたため、少し興奮しました。興奮冷めやらぬまま、姫Jへ到着してしまい本来の目的であった長女が生まれました。どんどん興奮が積み重なり、結果、出産直後の幸せオーラ全開の妻にシカゴ留学を打ち明けるという失態を犯しました。妻の”それ、今言う必要ある?”という至極最もなリアクションに一気に興奮が冷め、その後は終始生まれた長女を愛でることに集中できました。
2017年12月
現在は留学に際し、J1ビザでの渡航の場合は英語力の証明を課す大学がほとんどであります。
当初私もJ1ビザでの渡航予定であったため、PTAという聞きなれない英語の試験を受けてみました。想定していた以上の悲劇的な結果でよろよろとアパートに帰り、あまりのふがいなさと留学に対する絶望感で、不覚にも妻の前で涙を流してしまいました。それをみた妻は子供の世話をしながら笑い転げていました、文字通り抱腹絶倒です。何故か、私の不幸に際して単純に爆笑するという妻の良く分からないツボを私は知っていましたので、驚きはしませんでした。というよりは、この時ばかりはそのツボに救われた気がします。
この後もIELTSやら受験しましたが、控えめにいっても合格ラインまで2年くらいかかるのではないかという状況で、一旦は留学を諦めかけました。しかし、太田先生のご尽力により英語力の証明が不要なH1Bビザとなり、なんとかこの危機的状況から受動的に抜け出せました。
2018年6月
英語問題をクリア?した後は書類手続きを進めていました。Credential evaluationなるアメリカの企業に自分の日本の学歴を評価してもらう手続きに手間取ってしまい、時間ばかり過ぎて焦りが募りました。それらをようやく終え、ついに領事館でビザ申請を行うに至りました。ここでは英語でのinterviewがあるとのことで、非常に緊張したことを覚えています。いよいよinterviewのフロアにたどり着き、人の列をみると、基本的にたくさん並んでいる様子でした。並びながら話す英語を復習しようというのがセオリーであると思いますが、如何せんH1Bビザ用のレーンをぐにゃぐにゃと辿りながら進んでいくと、並ぶ人を尻目に私だけすでにinterviewerの前に立つという状況になってしまいました。全然準備できんかった、加えてなんでお前だけすぐに順番来んねんという視線を痛いほど感じ、二重の意味で脇汗が吹き出ました。もちろん質問は英語でしたが、余程答えが的外れだったのか、最後の質問は” 仕事、始めて何年?” と、nativeの人との会話につきものの残念な表情と深いため息混じりの日本語でした。この表情とため息には、渡米後もひどく心を傷つけられています。自分の英語力のせいではありますが。
2018年7月1日
時間はかかりましたが、ようやく念願の留学へ向けて日本を出発する日を迎えました。空港で、忘れ物ややり残したことがないか、シカゴに着いてから大丈夫かなと気が気ではありませんでした。そんな中事件は起こり、長男が発熱しました。渡米までのバタバタや神戸から東京までの移動の疲労と、時間をごまかすためにYou tubeで見させ続けたウルトラマンの興奮が災いしたと考えられます。機内でも終始、震えながら妻の膝で眠るといった調子でした。担当のようなCAさんが言うには、”このまま解熱しない場合は検疫に行ってもらわなければいけません、場合によっては入国できないこともあるかもしれません”。とのことでした。優しい顔で2-3時間ごとに体温計を持ってきてくれますが、その度にこちらの不安を逆撫でし、こちらの勝手な都合ですがそんなに頻繁に持ってくんなよと悪態を心の中でついてしまいました。結局は到着ぎりぎりで38.3度まで下がり、検疫は免れ、無事入国できました。ただ、入国できないかもしれないという不安や焦りの入り混じった感情の中、痛がる息子のまだあどけない尻に、妻とともに謝りながら座薬にワセリンを塗って何度も挿入したこと、妻を兄に独り占めされ機内でわめき続ける娘を周囲の静かに寝かせてよという冷たい視線に晒されながら立ってあやし続けたこと、その合間を縫って太田先生との約束のスライドを作ろうとしたけどもVAIOのモニターが一回開けるごとにどうしても2-3分しか持たないという不可思議な現象が起き解消されなかったこと、これらが合わさり地獄絵図のようであった14時間の日本からシカゴ行きの飛行機の思い出を私は生涯忘れないと思います。
こうしてシカゴに到着し、晴れてシカゴ大学太田labで豚の実験に取り掛かりました。
書き始めると、どんどん感情があふれ出し、長くなってしまいました。シカゴにきてJAYCSのブログを読破し、上司のブログに長く触れた影響かもしれません。留学後のことはシカゴ大学太田labで豚の実験、としか触れていませんが、おしまいにしようと思います。
特別なオチもなく、誰かのためになるという投稿でもなく、申し訳ないことこの上ありません。今後留学する/したいけど、渡航前後のことで相談する人がいない。という方いらっしゃれば、是非北原先生経由でご一報ください、精一杯応援します。
最後にこのような場を提供してくださった北原先生、本当にありがとうございました。
Team WADAシカゴ支部 幸田
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