ハンブルク留学までの経緯①

2016-12-18

可能であれば週に一回程度投稿できればと思います。

今回はハンブルクに私が至るまでの経緯に関してご報告します。

大学卒業後、滋賀医科大学病院心臓外科に入局予定としてそのまま大学病院での初期研修を選択、修了後入局し後期研修2年ののち、大学から医局人事として岸和田徳洲会病院心臓外科に派遣していただきました。1年そちらでおせわになりつつ、学生時代より夢であったドイツ留学への準備をすすめました。6年目の7月より渡独し一か月語学研修ののち8月よりThüringen州Bad BerkaにあるZentralklinik Bad Berkaという病院で研修を開始しました。

在学中ドイツに基礎研究の留学をしたこと、6年時の臨床研修時にドイツのBayreuthで研修をしたことなどがきっかけで本格的にドイツで臨床医として働くこと、異国の医療にどっぷりつかって学ぶこと、日本にはない様々な技術や器具(TAVIなど)を学ぶことにあこがれをいだくようになりました。

語学は在学中から趣味の延長で続けていますが、今現在も苦労しています。

留学先の病院としては初期研修医のころより休暇期間を利用してドイツ国内の病院を見学させていただき現地の先生のお話を伺ったり、日本からドイツへ留学された先生方にご意見を伺うなどして考慮しました。

最終的にはT先生がLeipzigに留学されていた際同僚であったGirdauskas先生およびKuntze先生がいらっしゃる小さな病院Bad Berkaを薦めていただき留学希望ということになりました。

病院の規模がLeipzigのように世界的に有名なマンモス病院ではなく、町の名前さえ知られていない小さな病院であることから外国人医師として留学しても手技に結びつきやすいというアドバイスをいただいたこともあり、こちらを選びました。また別件で、大学病院在職中より特にBicuspid Aortopathyを中心に学会発表などをしていたことからこのテーマの研究をより深めたいという思いもありました。卒後5年目に大学院博士課程に進学し現在博士論文を執筆中です。日本在職中より二尖弁をテーマとした論文でたびたびGirdauskas先生の名前を拝見することがありこれも縁かと直接メールし研究と臨床の双方を両立しドイツで勉強したい旨をご相談しました。Leipzigで一緒に働いていらっしゃったT先生のお名前をだすと非常に喜ばれ留学希望のはなしもスムーズに進めていただくことができました。

T先生にお会いしたのは研修医一年目に大阪で開催された関西胸部外科学会に訪問したのがきっかけでした。LeipzigのMohr教授の講演を拝聴し、せっかくの機会ということで講演終了後Mohr教授に話しかけ、いずれドイツに臨床留学したい、可能であればLeipzigに見学訪問させてほしいと伝えたところ当時付き添っていらっしゃったT先生とM先生に話をきくといいと紹介していただいたのがきっかけです。当時は研修医一年目で在りMohr教授がいかに偉大な人物であるか全く見当もつかなかったのでできたことなのかもしれません。しかしその時に声をかけていなければ現在の留学はかなわなかったのかもしれません。

脱線から戻りますが、Bad Berkaに留学し、労働許可取得後Gastärztinとして半年間滞在しました。Gastärztinとはすなわち無給の見学生ということです。まだまだ語学に難があり雇用契約は結んでもらえませんでした。また難民問題が加速したことから小さい病院で在ったものの外国人医師が多く雇用を求めてやってくることから雇用状況としてはより一層困難になっていました。12月になり研究指導を仰いだGirdauskas先生のHamburgへの異動の話をきき、残留かもしくは一緒に異動もしくは全く別の病院へ異動という選択肢を与えられました。結果としてはHamburgへ一緒にということになり現在に至ります。

最終的には2016年3月より一か月見学生として滞在し、4月よりは雇用を約束してもらうということで異動を決めました。

 

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