医学部の頃は、正直な話、あまり北原君との個人的な絡みはそれほどありませんでした。
アメフトの部室でウイニングイレブンをやったことがあるような記憶があるのと、江の島の海に行ったりした記憶はありますが、
それらはどれも他の誰かを介在したもので、二人で連絡を取り合ったりとか、どこかに行ったことはなかった気がします。
それが、ひょんなことで一緒に二人でL.Aに卒業後にいくことになったわけですから、今回はそのことでも書こうかと思います。
まあ、正確には、二人だけの旅行というわけではなく、僕は前妻と一緒でしたが、
それはそれで、ある意味その組み合わせの三人旅ってとても奇妙だなと、思うわけです。
お互いUSMLEをpassすることを目指していたことがきっかけでした。
step2 CSは、まあこのブログの読者はみなさんご存知でしょうが、アメリカ本土でしか受験できないので、
日本人御用達なのが、西海岸の受験場、つまり、L.Aなわけです。
僕と北原君はお互い、PUMAというインド人講師に夜な夜なスカイプで英語での模擬診察の特訓をしていました。
ただ、PUMAは有料で時間も限られるので、Skypeで二人で練習をすることになりました。
お互いに患者役、医者役とわかれて、Skypeで反復練習してたわけですから、
今思えば笑えてきますが、当時は随分真剣でしたし、いい思い出にもなりました。
そういう意味で、僕と北原君は戦友だったわけで、
その延長線でL.A.に本番の受験も一緒に行くことになったわけです。
その北原君が今や米国で心臓外科医としてフロンティアラインで活躍し、僕は日本の片田舎で普通に家庭作って医者やってるわけですから、
隔世の感がありますが、ただひたすらに北原君には日本代表としてがんばっていただきたい限りです。
L.Aで記憶に残ったことと言えば、
空港からホテルまでのタクシーでいきなり北原君がタクシー内にiphoneかなんかを失くしたことです。
あれ?あれは戻ってきたんでしたっけ?忘れてしまいました。
step2 CSは我々にとってはかなりギリギリの戦いでしたが、米国人の医学生はなんかもう、ピクニック気分でわいわいがやがやと楽しそうだったのを覚えていますね。
模擬患者がブラックなアメリカンだと、聞き取りが非常に難しかったことも強く記憶に残ってますが、今はもう北原君なら余裕でラップで返すくらいのことができるんでしょうか。
試験前日にアメリカ人の内科医にお金払って、二人で講習してもらったのもいい経験でした。
その内科医がL.Aは性病だらけだって言ってたことだけ、なぜか覚えてますね。あの二人の内科医はどーゆーツテで北原君は呼んだのでしょう?
さて、試験を終えて、その後は観光しました。
インアンドアウトバーガーと、ファットバーガーはわざわざ食べに行ったかいがありましたね。
そのうち日本上陸しないかな。
ハリウッドは歩いた記憶しかありません。
ダウンタウンは行きそびれました。
ロナルド・レーガンU.C.L.A医療センターの中なんかをふらふらして、天井が高くてすげー、とか喚いていたわけですが、
まさか、あそこが脳卒中治療のメッカで、しかも日本人のfacultyの先生がいらっしゃるなんて、当時はつゆ知らずでした。
北原君が購買でアメフトグッズを買っていたのをよく覚えています。
随分弾丸ツアーの旅行で、
飛行機まであんまり時間ないのに、ゲッティ美術館もいきましたが、美術品なんてほとんど全く見ずに、景色眺めた記憶しかありません。
今思えば、グリフィス天文台にいけばよかったな、なんて、LALALANDをみて思いました。
二人ともstep2をpassし、ECFMGを取得して一時は近くに見えた米国ですが、
僕にとってはいまや遥か彼方、一方、北原君は一人米国真っ只中で奮戦しているわけですから、
応援せずにはいられません。
また、いつかL.A.で会えたらいいですね。
コメント
ステキな文章をありがとうございます。なぜかわからないですが、当時は海外に行くと必ず携帯を無くしていました。しかし、よく色んなこと覚えてるね。