「人となりは一目見ればわかる」 by 太田
「本質は自分でも分からない」 by 北原
一つの物事も見る人によっていろいろな形に変わってくる、一人の人も本当の姿を他人から正しく理解されているとも限らない、むしろ外からの評価こそがその物事や人の本質となるパラドックスが存在しうる。今シカゴ大学ではこのような哲学的議論が絶えません。そこで今回は、同一の事柄を違う人物が評価するとどうなるか?違う人物が同じことをするとどうなるか?人間の内面を問う哲学企画です。
読者の皆様、お初にお目にかかります。私は、手稲渓仁会病院で研修医1年目をさせていただいております、塚越隼爾(ツカゴシジュンジ)と申します。私は心臓血管外科志望ということもあり、この度は同院で2年先輩であられます、チームWADA会長の和田先生より太田先生と北原先生をご紹介いただき、夏休みを利用してシカゴ大学に見学の機会を与えられました。わずか1週間という短い期間ですが、太田先生と北原先生のご厚意を決して無駄にせず最大限に学ぶとともに、100%以上の努力と熱意でブログにも貢献できるよう、精進して参ります。
今回はブログ上で3 点の企画が行われると伺っております。
- 日々北原先生と同じ手術について、別々で記事を書くということ。
- 毎日誰かの一挙手一投足をピックアップして、プロファイリングを行うということ。
- 毎日北原先生とラーメン動画を撮影・投稿すること。
これらを5日間全力でやり切って参りたいと思います。
逃げのような注釈をつけのは大変心苦しいのですが、1点断らせていただきます。私には深い教養も知識もありません。読者の皆様の知的レベルにかなう程の文才も思考力もございませんが、精一杯やらせていただきますので、暖かい目で見守っていただければ幸いです。
- 本日の手術について
本日は、LVAD±AVRの手術でした。CABG術後、VTに対してepicardial patchで電極版のようなものも2枚心臓に付着している方のVAD手術でした。見るからに癒着が強く、元のCABGグラフトの在りかもわかりづらく、素人目にもその難しさと嫌らしさを実感する手術でした。
北原先生のブログに度々登場しているボビー本人を拝見して笑いをこらえるなどの小エピソードはいくつかありましたが、今回は「投射・投影」について少しだけ思ったことがあるので書いてみます。精神科の勉強をするときに出てきた「投影・投射(=Projection)」とは、無意識の作用による自我の防衛機制の一つであり、自分の中に認めたくない気持ちがあるときに、自分の中で抑圧されたその感情が他の人に投射されて、その人の中に同じ感情があるように感じるメカニズムです。
例えるならば、
・自分がすごく落ち込んで帰ったときに、ペットの犬もすごく落ち込んでいるような顔をしている気がする
・合コン中に極めてムカつく奴がいたときに、その人から自分に対して強い敵意が向けられていると感じる
・逆に合コン途中の作戦会議で、自分の意中の女性が他の男性参加者から散々な言われようをしているときに限って、やけにその子が自分を好いてくれていると感じる
くだらない例えばかりですが、言葉の定義上はこういうことかと思います。「投射」と言われるとピンと来なくても、意外とこういう現象が被害妄想を膨らませたり、人間関係を悪化させてしまったり…人見知りの僕としては思い当たる節が多々あります。
さて、これが今回の手術とどう関わるか。そもそも今回の手術を、observerでしかない僕が術野に入らせていただいて、太田先生と北原先生が操作されるのを間近で見る機会を頂けたことは、心からありがたいと思います。VAD手術自体、日本でそう見ることのできるものではないと思うので大変貴重でしたし、マッピングしたり、パッチと装着部位との兼ね合いを考慮したり、きっと今の僕には理解できていない次元の高いレベルの思考が繰り広げられていたことと思います。この場を借りて、改めて感謝申し上げます。
が、しかし。太田先生がグラフトの位置や上行大動脈の石灰化、術野の展開などを総合的に考慮して、あの「±AVR」が-に変わる瞬間、僕の目には、手術室全体が歓喜に満ちて輝くように映ってしまったのです。「Dr. Ota, are we doing the AVR?」と聞く人たちが「No」と言われるたびに、平静を装っていても嬉しさがこぼれ出ているのをひしひしと感じました。本当にそうだったのかもしれないですが、僕の投射だったのかもしれない。
事実としてわかっていることは一つで、時差ボケと戦いながら見学させていただいている自分の中に、AVRがなくなって助かったな、という気持ちが少なからず存在することでした。せめてこの気持ちがこぼれ出ることがないように、必死にVAD手術を見学する塚越なのでした。
- プロファイリング
◇太田先生:
・手術中「早く帰りて~」とぼやいていた先生ですが、AVRがなくなった瞬間、一番喜びがこぼれて見えなかったのは太田先生でした。笑いの種を常に探しながら歩き、手術に対する熱意をあまり表に出さない先生ですが、AVRのリスクの大きさからやらないことをご自身で選びながらも、実は「それでもやれ」と言われてやってみたい気持ちを感じました。「この状況で(AVRを)やらないというのは英断だね。」そうおっしゃる先生の横顔は、どこか寂しさを含んでいました。これが手術への熱ですね。
・16時頃に手術を抜け出して、太田先生と昼食をご一緒させていただきました。先生は愛妻弁当を召し上がっていましたが、白米と同じ量だけトマトが入っていたことに気付きました。相当なトマト好きとお見受けします。
◇北原先生:
・夜に本日のラーメンをご一緒しているときの話の中で、こんな会話がありました。
塚越:「食べることが必要な時以外はもうたくさん食べることはなくなりましたね。」
北原先生:「僕はそもそもあんまり食べないし、食べなきゃいけない状況になっても『もうおなかいっぱいです。』で終わっちゃうよ。」
…完全に欲しがっている顔でした。太田先生、食べなきゃいけない状況作りをお願いします。
北原ラーメン shinju sushi roasted garlic miso ramen 編
一口の大きさは圧巻です。この5日間で一口の大きさにも成長を期待します
2件のコメント
WADA先生、もったいないお言葉をありがとうございます。北原先生の笑顔を求めて熱く戦い続けます。
塚越くん、僕からの任務はボツになったようですが、持ち前の熱血魂で任務遂行頑張ってください。
動画の最後の北原先生の嬉しそうな表情たまらないですね。塚越くん、グッジョブです。