泣いても帰ってこない佐々木希ブログ V1.1.7

2017-06-14
お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。

 

突き詰めれば結局はみんな後先が逆なんだと思います。
小学生の時にテレビで救急部の医師のドキュメンタリーを見て、とか、高校の時、友人が病気で亡くなって、とか。人それぞれ医師を志す起点は違うと思いますが、このような美しい動機で医師をめざした人であっても、他のいわゆる不純な動機の人であっても、医師国家試験に合格し、自身の進路を決める際には本来の動機とは異なる視点で、純粋に自分の興味の対象、打算的な要素等いろいろなことを考慮して進路(専門分野)を決めている場合が多いと思います。私の場合は、なんとなく心臓に興味があって、循環器内科か心臓外科かって感じで考えていました。当時はいろんな人に種々の理由で心臓外科はやめておけ、将来性のある循環器内科にしろ、と言われて私もなんとかくその流れで考えていました。しかし、とある人に「結局は自分が心の底から好きなことしか続かないので、邪念を無くして自分の魂の欲するものを選ぶのが吉」と言われました。原点回帰してみると私の場合は「手術がしたい(してみたい)」と私の魂が宣いました。で、今に至るわけですが、良い選択をしたと思っています。しかしながら、医師及び医療の原点は、おそらく「病気で困っている人たちを救う」ことなんだと思うと、私の「魂の欲するもの」はこの観点からはずれていると言わざるを得ません。フェローでトレーニングしている間は、患者さんを診てはいるものの、いわば機械のように働き続け手術のスキル向上の機会を貪り食っていたような感じでした。アテンディングとして働くようになってからは、患者さんを診る過程でいろいろ話をし、葛藤の中にあっても何とか病気と立ち向かおうとする患者さんに対し、なんとかしてあげたいと思い、そのために自身のスキルを使い直接的に貢献できることの喜びも感じるようになりました。しかし、日々精進してる根本的な動機は正直に言えば、たくさん手術したい、速い手術をしたい、難しい症例もサクッとこなしたい、等が前面に出てくるような気がします。これらは達成することにより患者さんにほぼ直接的に利益がフィードバックされるので、まあ気にする必要もないのではと思ったりもしますが、やはり理論的には後先が逆ですよね。勝手な想像ですが、ほとんどの先生方にはこのような後先が逆な現象が存在しているのではないでしょうか。本来あるべき「患者さんのために!」から始まって、順序よく「魂の欲するもの」につながっている美しい先生方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか。

 

写真:趣味のギター。大学時代の部活動の先輩がギターがすごく上手で、ギターの弾き語りはまさにプロ級でした。その先輩に弟子入りし始めたギター。大学時代に購入した安いギターは渡米の際持ってこれなかったので泣く泣く後輩に譲りました。渡米後すぐに、ふとギターを買おうかと思いつき調べると遠く離れた車でしか行けない場所しかギター屋さんがありませんでした。英語もろくにしゃべれず右も左も分からないまま、運転免許を取得し、紆余曲折を経て晴れて車を購入し、最初に向かった先が、かのギター屋さん。例によって英語も店のルールも分からないままなんとか購入した体育館ぐらいの広さの店内にひしめくたくさんのギターのうち一番下から3番目に安いギター。ギターを買うために車を購入した後先逆転のギター。わさびが好きすぎて、わさびが食べたいがために寿司屋に行く後先逆容認派の私をして、ちょっとやりすぎな後先逆転のギター。今は弾くと家族にうるさいと怒られるので部屋の片隅でわびさびのギター。

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