お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。
手術は体を使って実際に行う作業ですから、基本的には体で覚えるしかないのでしょう。
失敗が許されない状況で、個々の症例によりバリエーションが多い実際の現場では技術を後進に伝えるのは至難の技です。指導の難しさ、人手不足とはいえ多すぎる若手医師、限られた症例数、自分自身がみっちり手取り足取り教えてもらった経験がない、実は自分自身後進を指導できるほど卓越していない、等々の事情により、日本においては「見て盗み、自ら学べ」といった概念の教育方針が取られるようになったのではないかと推測します。この教育方針はその簡便さから早期に完成形に達し、もはや日本の伝統としてすら取り扱い可能な域に達しているのではないでしょうか。時代は常に変わり、常識も変わっていくものですから、近年この伝統もどんどん変化しているのだとは思います。私は日本を捨てて留学をしたわけではなく、日本で教えていただいたことを元手にアメリカでの鍛錬を行なっています。日本で培われた知識、能力、経験は今でも私を支えています。日本のそれを全否定して、海外に活路を探すしかないと思い込む人たちがいるのは事実です。しかし、そのような人をたくさん目の当たりにしてきて、私は目の前にあることに全力を尽くさず、現状での学ぶチャンスを最大限い活かせない人はどこに行っても結局ダメなっていくんだなあと思うことが多々あります。見て学ぶ。私はこの能力は非常に重要なことだと思っています。一般的に「見て学ぶ」概念が全く欠如しているアメリカ人レジデントに対して指導する際にも、見て学ぶことの大切さを説いています。特に師匠と弟子の関係が生涯にわたって続く日本ではいくつになっても師匠が弟子を諭してくれる可能性がありますが、トレーニングを「卒業」する概念が存在するアメリカでは卒業し独立後は誰かが進んで自分を手取り足取り指導してくれることは期待しにくく、自ら学び成長していくしか方法がない場合が多いのだと思います。そこで「見て学ぶ」つまり「コピーアンドペースト」です。自分より卓越した外科医の技を見て自らのものとする能力は非常に重要だと思います。日本の問題はおそらく何年もコピーのみをしまくって、ペーストする機会が極端に少ないことなのだと思いますが。それはさておき日本で鍛錬した外科医はこの能力に特に長けています。これはもはや日本人独特の能力と言っても過言ではないのでしょうか。北原先生もまたその「特殊能力」を持つ一人です。北原先生には各アテンディングのやり方を完全にコピペし、自分の裁量でやり方を変えれる状況であっても必ずそのアテンディングのやり方を徹底するように指導しています。そうすることでアテンディングを安心させ、信頼を得ることで任される症例や内容が増えてくるためです。あとは自分が独立した時に今までで一番最適と思えるピースを組み合わせて、自分のやり方を組み上げていくのがスタートなのではないでしょうか。
写真:最近はなんだか特に忙しくて、いろいろと何かに追われ続ける日々を送っておりました。きっちりした自分とだらしない自分が混在し、日々葛藤の中で生きておりますが、忙しいとどうしてもだらしない自分がとんでもない実力を発揮し、私の体を支配するようになります。昨日ふと暇な時間ができたので、靴を磨いてみることにしました。先日、日本の靴磨きバーで習ったことと見て学んだことを忠実にコピペし、頑張って仕上げました。前回より仕上がりも良く、上達したと思います。日本で購入した高級靴クリームと山羊毛ブラシもいい感じです。ただどう比べてもプロの職人の仕上がりとは違いがあります。どうしてなのかいろいろと研究中です。偉そうなことを言いつつ自身のコピペ能力がイマイチなのかもしれません。靴磨きはきっちりした自分を再び呼び起こす効果ありです。ブログの執筆は「きっちりした」方の私が行っていますので、ブログに靴磨きの話題が上がりやすい要因となっております。
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