お邪魔いたします。シカゴ大学太田です。
開胸、カニュレーション、内胸動脈採取など心臓外科手術には習得すべき様々なピースが存在します。そのうち「止血」も重要な習得すべき基本手技だと思います。他の手技は指導医の監視下に教えられた通り行う場合が多いの対し、止血操作は指導医はいなくなり「おまかせコース」の場合が多く、技の伝授が発生しにくい特殊な分野だと思います。止血操作の段階まで手術が来る頃にはみんな若干疲れていて、指導医が止血操作している場合でも、指導医はいちいち事細かに止血の理論や技を解説することが他の手技より少ない傾向にあり、フェローも食い入るように見て勉強するといった姿勢が薄くなるのが止血操作の教育時における特徴だと思います。止血操作にもいろいろな技がありますが、私の場合もそのほとんどが自らあみ出した技や止血理論です。指導医から伝授された具体的な技も確かにありますが、数える程度です。日本での研修医時代に教えてもらったことの一つに、「出血が出血を招く、止血が止血を呼ぶ」と言うものがあります。つまりは常に能動的に止血をしつづけることの重要さを説くものであり、本当のことだと思います。自分の症例以外でたまに見かけるのは「bleeding from everywhere」と言いながら、ただ出血をダラダラと吸引しつづけるだけのパターンです。止血困難例が存在するのは事実ですが、bleeding from everywhereと言っても必ず出血源が存在するわけですから、それらを一つづつ同定し、糸をかけるのか、電気メスで焼くのか、ガーゼパックするのか、止血剤を使うのか等全てにくまなく徹底的に対処することで解決へと持っていくことが重要だと思います。ニューヨークコロンビア大学時代からシカゴ大学時代にかけて、北原先生が来てくれるまでの期間は自分一人で全てを対処しなくてはならず誰も助けに来てくれませんし、止血時間が長引いたり出血再開胸になると単に自身の睡眠時間が削られるだけで、また開胸のままパックしても結局後日自分で閉めることになるので、止血を効果的に迅速にすることは私にとって生活に直結する非常に重要なことでした。また止血操作の教育的側面としてみると、止血困難な状況に陥った時、それがメインの手術操作中に原因である場合、それに学んで次回は、後に止血困難な状況を招きうる場所と認識し、最初から丁寧にかつ完璧に仕上げることの重要さを学べるといったこともあるでしょう。自分で苦労して痛い目に合うことにより学ぶことが後の教訓となりやすく他の手技の向上にも繋がるという感じでしょうか。つまりは完璧な手術をすれば止血の必要すらない、ってやつですね。今のところ夢のまた夢ですね。
写真:完璧を目指して精進する。そのためには完璧なものを見て観察しそれを真似るのが一番の早道でしょう。完璧が存在しないものの場合、理論上の完璧とはいかなるものかと想像を巡らし頭の中で完成した完璧像を目指すということになるのでしょう。私は緑茶やコーヒーが好きすぎて、いろいろと研究してしまいます。まあ趣味の世界ですので適当にやっているものの、完璧な緑茶とはどういったものか?と追及するわけです。しかし、アメリカでそれを追及するのはやはり限界があります。オフィスのキッチンに置いてあるGreen Teaのティーバッグに至ってはもはや緑茶ですらない、ほうじ茶のような色でマズくてよくわからないものが出てくるティーバッグです。秘書さんに「ちゃんとした緑茶を買ってくれ」と頼んだら、「これGreen Teaって書いてあるじゃない」ののたまうので、これは緑茶ではなくわけのわからない変なお茶であり、これをGreen Teaと呼ぶべきではない。と長々と説教をたれて、最低限これくらいの緑茶でないと納得がいかないとワガママをいって買ってもらった緑茶のティーバッグ。こちらの本物の緑茶はアメリカ人にも人気でティーバッグのストックの減りが劇的に早くなりました。完璧でないにせよ本物に近いものに触れるのはいいことであり大事なことだと思います。
コメントはまだありません